2016-01-01から1年間の記事一覧

文学全集・百科事典

どうしてそうなったのかわからないが、昭和のいっとき文学全集を揃えることが流行した。色々な出版社から日本文学全集や世界文学全集、あるいは少年少女文学全集などが出版された。いずれも全数十巻からなり、立派な箱入りの装丁となっていた。布張りの表紙…

グローブをバットにさして

近ごろ、グローブをさしたバットを肩に担いで歩く少年を見かけなくなった。 ランニングシャツに半ズボン、アサヒとか月星、世界長のズックを履いて、グローブをさしたバットを肩に担いで歩くのはごく当たり前の光景だった。そんなかっこうで子ども同士連れだ…

真田十勇士

TV大河ドラマの「真田丸」が大詰めを迎えているようだが、昭和の子どもたちは真田幸村は知っていても真田丸は知らなかった。幸村に兄がいたことも知らなければ、その兄が徳川方についていたことも知らなかった。 幸村が大阪冬の陣で大活躍し徳川勢を苦しめた…

マッチ

昭和の時代、火をつけるのにはもっぱらマッチを使った。例外は煙草で、これはライターを使う人もたくさんいた。が、とりあえずはマッチである。 マッチは日常世界でごく当たり前に存在していた。大きさの例えにも使われた。飲食店などでも、お土産というか記…

角砂糖

昭和の時代、お洒落な砂糖といえば角砂糖であった。お洒落というより、気取った砂糖というほうが良いかもしれない。 コーヒーや紅茶が出てくると「いくつ?」と尋ねるのが気の利かせかたであった。いくつというのは、角砂糖の数である。 当時はまだ、ブラッ…

犬殺し、猫殺し

昭和の時代、犬殺しや、猫殺しという職業(?)がありました。「殺し」はごろしと濁って読みます。 自分が飼っているのではない犬や猫を殺し、死骸を持ち去ってしまうのです。持ち帰ってどうするか? 猫の皮は三味線、犬は食用、などと言われていました。 狙…

ひとさらい

昭和の時代「人さらい」という言葉をよく耳にした。こっそりと子どもをさらって行くそうだ。多くは身代金目的の誘拐ではない。ではなぜ? 連れてきた子どもを売り飛ばすというのがもっともの噂だった。 売り先は外国というのもあったが、多くはサーカスであ…

家事手伝い

昭和の時代、履歴書や肩書きの職業として、家事手伝いというのがありました。堂々とそう記していました。 家事手伝いというのは、家事代行業のことではありません。家のひとに代わって掃除や洗濯、料理をして、代金を貰う職業ではありません。 そうではなく…

アイドリング・ストップ

アイドリング・ストップという呼びかけをよく耳にする。自動車の運転に関するようだが、なにをしたらよいのかよくわからない。 アイドリング(エンジンを空ぶかし)しながら車を止めるということなのか? そんなことで着るの? そんなことしてなんになるの? …

茶こしで紅茶を

昭和の時代、紅茶もよく飲まれていた。しかも、リプトンの青缶や国産の日東紅茶など、最初から茶葉を使っていた。 というよりも、手軽なティーバックが現れるのはもう少しあとのこと、当時は茶葉をそのまま使うしか術がなかった。 でその茶葉をどうしていた…

原動機付き自転車

原動機付き自転車。略して、原付。いまでは、排気量が50cc未満の自動二輪車をそう称しています。 が、昭和の時代は違いました。文字通り原動機のついた自転車です。いまの時代の電動アシスト自転車のようなものかもしれません。電動アシスト自転車の電動機(…

網棚

電車の網棚。座席上方に設置された荷物を置く棚である。昭和のころもあったし、いまでもある。 が、昭和の網棚は文字通りの網棚であった。現在の網棚はすべて金属で作られているが、木製や金属製の支えに網が張ってあった。網棚という名前の由来でもある。 …

おしろい

昭和の時代、おしろいという白い粉がありました。関西など、天花粉(てんかふん)と呼ぶ地域もあったようです。丸い缶に入った白い粉で、缶の中、粉の上には缶と同じサイズのパフが収まっていました。吸水効果あるのか風呂上がりなどでよく使われていました…

ぞうり袋

昭和の通学時の持ち物のひとつにぞうり袋なるものがあった。 昭和の小学校で校舎に入るときは上履きに履き替えなければならなかった。そして、学校には個人用の下駄箱はなかった。となると、上履きは各自が持ち歩かなければならない。その上履きを入れて持ち…

列車みかん

汽車に乗る時は、駅の売店で買った蜜柑を持ち込むのが普通だった。席に着くと、同席した人からこのみかんをもらうこともしばしばあった。 みかんは、赤色のネットに縦一列に何個か入っていた。縦一列というはひとつずつ取り出すための工夫だろう。ネットとい…

子どもだけで遊んだ

昔は子どもだけで遊んだ。当たり前のようだが、いまは必ずしもそうではないようだ。昔うんぬんよりも、いまの状況が問題のように思われる。 いまどきの子ども達も昔と同じように野球やサッカーをして遊ぶ。だけど、その野球やサッカーは概ね正規のルールに準…

歌集

かつては歌集というものがあった。家の中に何冊かころがっていた。 歌集というのは歌の歌詞だけを書いた冊子である。対象となる歌は幅広い。民謡、童謡、唱歌、ロシア民謡、歌謡曲などなど。 この歌集はどこで手に入れるのか。いろんなところから手に入れる…

買い物かご

昭和の時代、買い物に行く時は、買い物かごを下げていった。籐などの植物で編まれたかごが一般的だっただろうか。 買い物は八百屋、肉屋、魚屋などの専門店へ行く。買い物をすると買ったものは新聞紙でくるんだり、薄い紙袋に入れ端をクルクルと巻いて閉じて…

がいし

昭和の時代には〝がいし〟というものを当たり前のように見かけた。碍子と書く。 もっともよく見るのが電柱。電信柱状の絶縁器具である。直径5センチくらいの円筒形の白い陶器であっただろうか。 この碍子、意外なところでもよく見かけた。それは、花壇。花…

物干し

昭和の時代は、一戸建て住宅もたくさん建っていた。一戸建てといっても豪華なものではなく、質素な平屋が多かった。 二階建てや集合住宅はさほど多くはなかった。であるからベランダというものも多くはなかった。一方、一戸建てには狭いながらも庭というか通…

缶切り

缶切りという道具があった。缶詰のふたを空けるための道具である。大きくわけで二通りのしくみがあった。 ひとつは、テコの応用でギコギゴ切るタイプ。缶切りの支点を缶のフタの縁の裏側に引っかけ、長い持ち手を力点として前へ倒したり後ろへ戻したりしなが…

G パンの裾

昭和に時代、ジーンズのことをGパンと呼んでいた。どうしてそんな呼称がひろまったのかは良くわからないが。 で、Gパンの裾である。Gパンというのは万人に会うように丈はかなり長い目に作られていた。いまは、購入時に裾の長さを調整して、長すぎる分を切り…

スピッツ

昭和の犬といえばスピッツである。 アメリカがかっこよかった時代である。テレビでは「名犬ラッシー」のコリーや「名犬ロンドン」「名犬リンチンチン」のシェパードなどが人気を博していたが、どちらも大型犬。当時の日本では、住居の問題やら食事の問題やら…

荷札

昭和の時代、宅配便などという便利なサービスはなかった。荷物の配達は、郵便局または日通が一手に引き受けていた。 それはともかくとして、荷造りには色々と決まりがあった。いや、本当は決まりかどうかは知らないが、みんなが守っていた手順があった。 荷…

海パン

男子用海水パンツ、水泳用水着である。 ファッションの流れ同様、これも色々と変化してきた。 比較的ピッタリした半ズボンタイプ、小さなビキニタイプ、ややぶかぶかな半ズボンタイプ、かなり長めの半ズボンタイプ、上半身のついた繋ぎタイプ。ピッタリした…

豆腐

昭和の豆腐と現在の豆腐はちょっと違っている。 昭和の豆腐は、その日に作られたモノをその日もうちに食べる。 日持ちはしないし、パック詰めもなく、冷蔵庫も普及していないので。 昭和の豆腐はみな四角かった(ざる豆腐なんて……) 昭和の豆腐は豆腐屋でつ…

計算尺

昭和の時代、パソコンなんてものはなかった。当然、表計算ソフトもない。カシオが初めて電卓をつくり、キャノンやシャープ、オムロンが起きかけた。 その少し前、計算に使われていたのは、なんといっても算盤。大きくはないが玉をパチパチはじく音がにぎやか…

分解写真

昭和の時代、野球やゴルフなどのフォームの解説用の分解写真を頻繁に目にした。今の連写のような機能で撮った写真を並べたものである。これはなかなかわかりやすいものだった。 が、最近は分解写真は激減してしまったように思われる。 これは動画が普及した…

ひょうちゃん

そういう名前があると知ったのは随分と後になってからのことです。だけど、ひょうちゃんそのものは子どものころから知っていました。 ひょうちゃんというのは、崎陽軒のしうまい弁当についている陶器製の醤油入れです。ひょうたんの形をしているのでひょうち…

荷物を預かる

昭和の時代はいまのように個別配送が充実していなかった。荷物を配達していたのは郵便局か日通、そして盆暮れのデパートくらいのものである。 そのころ、いまでは考えられないようなことが、ごく当たり前に行われていた。届け先が不在の場合、平気で荷物を近…