文学全集・百科事典

 どうしてそうなったのかわからないが、昭和のいっとき文学全集を揃えることが流行した。色々な出版社から日本文学全集や世界文学全集、あるいは少年少女文学全集などが出版された。いずれも全数十巻からなり、立派な箱入りの装丁となっていた。布張りの表紙も多く、デザイナーの名を大大的に表に出したブランド商品も少なくなかった。また、別売で全集を収納するための本箱まで販売されていた。

 どういう人がこれを買ったのか。全巻を読むために買いそろえようとするひとはほとんどいなかったのではなかろうか。揃えておけばいつかこどもたちが読むのではなかろうか、と期待を込めて購入する親馬鹿もいたようだ(わが家は多分そうだったのだろう)。がこれが多数派ではなさそうだ。

 もしかしたら日本人の住まいかたに現れた変化も原因のひとつかもしれない。その頃、ソファーを置いた応接間をつくることが流行っていた。その応接間の装飾に最適なのが重厚な本、すなわち文学全集だった。ステータスシンボルですね。ゴルフのカップを飾るひとも負けず劣らず多かった。ホームバーと称して、カクテルセットを揃えたところも少なくなかった。でも重みのあるのは本でしょうね。

 ずっと後になって聞いた話だが、その装飾用の本棚一式を取りそろえて販売する職業もあったそうだ。そのために、文学全集の古書相場もいまほど低くはなかったとか。

 ステータスシンボルといえば、百科事典の訪問販売も盛んでした。わが家でも全七巻という超小ぶりな百科事典を購入していました。わたくしめ、文学全集には縁がなかったけれど、百科事典にはお世話になりました。中学生のころに、なんとまあ全七巻の全ページをめくったと思います。無論読んだのは興味を持った事項、ゴクゴク一部だけですが。ただ、前から順に頁を繰ることであらたに興味を抱いた事柄も少なくなかった。そのとき知ったことが希釈されながらもうっすらといまだに残っているような気がする。いまのわたしの脳みその一部、雑学の部の一部を築いているような気もする。

 そういう時代もあったのですが、いまの時代、百科事典も文学全集も揃えようとするひとはいないでしょうね。というより、売ってないですね。