2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

幼稚園

昨年三歳になった孫がこの四月から幼稚園の三年保育コースに通っている。その親であるむすこは二年保育。さらにその親のわたしは一年保育を受けた。 わたしの時代、これは地域性もあるかもしれないが、皆がみな幼稚園へ行ったわけではなかったようだ。 いま…

物干し台

屋根の上の物干し台、いまではほとんど見かけなくなった。 この物干し台、二階の窓から行き来できるものも見かけたがそれは例外的な構造。平屋の屋根の上に造り専用の階段をつたって上るのが一般的。 二階が在ればそこに洗濯物を干すことができるし、あるい…

福助人形

最近はほとんど見ることがなくなったが、かつて福助人形は日常の中にしっかりと存在していた。わが家にはなかったが友達の家ではよく見かけた。 友達の家で思い出したが、遊びに行って通されるのは、子ども部屋や応接間、客間ではなく、決まって茶の間であっ…

電話

携帯電話が恐ろしいほど普及している。ひとり一台電話を持つ日もそう遠いことではないのかも知れない。 わたしが子どもの頃は電話のある家のほうが珍しかった。地域性もあるが、小学校低学年の頃の名簿を見た記憶では電話のある家はほとんどなかった。電話が…

宇宙開発

ソ連とアメリカが競っていたが、人工衛星に犬が乗ったのも、人が乗ったのもソ連のほうが早かった。 ソ連は秘密主義で成功した事例しか公表していない。成功例の前にたくさんの犬や人が失敗して死んでいる可能性が高い。失敗しても秘密なんだから、確立がさほ…

マナーは昭和より平成

子どもの頃、道を歩いていてしょっちゅうガムやら犬のウンコを踏んづけた。ほんとうにしょっちゅうである。 ということは、そこら中にガムが吐き出され、犬がウンコをしていたことになる。確かに噛んだあとのガムをそのまま平気で道に吐き出すひとが多かった…

履き物

子どもの頃どんな履き物を履いていたのだろうか。はっきりした記憶がない。 小学校にあがるまでは、下駄が主だったような気がする。幼稚園の“ハレ”の卒園写真には下駄履き姿のわたしが写っている。夏はともかくとして、靴下で下駄は履けないので、寒い季節に…

南極探検

南極探検船宗谷。南氷洋に行ったはよいが、氷に閉じこめられて身動きできなくなる。その模様が毎日ラジオで放送される。 閉じこめる氷はますます厚くなってくる。絶体絶命。そのなとき強力な助っ人が現れた。それがソ連(当時)のオビ号。厚い氷を力強く蹴散…

黒煙は元気の象徴!?

昭和三十年代の日本。戦争により荒廃・疲弊した国土が高度成長に向かって胎動を始める。 その活力を現すためにしばしば使われた光景が、工場の煙突から勢いよくもくもくと吐き出させる黒煙。この真っ黒な煙の勢いが国の力を象徴していた。 もちろん当時は公…

竹馬・凧揚げ、そして駄菓子屋・紙芝居

つづけて、経験しなかったことを先に書いてしまおう。 たとえば、竹馬、凧揚げをやった記憶はない。駄菓子屋、紙芝居は皆無ではないが足繁く通ったわけではない。 竹馬・凧揚げをやらなかったのは、おそらくは私の性格による。子どもの頃のわたしは大層やっ…

メンコ、ベーゴマ、ビー玉

さて、ブログを立ち上げたは良いが何から書き始めようか決まらない。あれこれ迷ったのだが、意表を突くもので幕を開けることにした。 それが標題のメンコ、ベーゴマ、ビー玉であるならば、ちっとも意外ではないと思われるでしょうね。これらについては、いか…

記憶の中の昭和

今、昭和がブームとなっている。64年続いた昭和は、戦前、戦中、戦後と三つに分けることができるが、ブームになっているのは戦後の部分である。戦前、戦中はブームとして思い出すにはあまりにも暗すぎるということで除外されているのであろう。 戦後の昭和と…