竹馬・凧揚げ、そして駄菓子屋・紙芝居

 つづけて、経験しなかったことを先に書いてしまおう。

 たとえば、竹馬、凧揚げをやった記憶はない。駄菓子屋、紙芝居は皆無ではないが足繁く通ったわけではない。

 竹馬・凧揚げをやらなかったのは、おそらくは私の性格による。子どもの頃のわたしは大層やっかいな性格をしていた。それは、《できないことには手を出さない》という性格。いや、これよりもさらにその理由となっている性格、《できないところをひとに見られたくない》という性格。いいかっこしい、というわけではないが、できれば恥はかきたくないという気持に支配されていた。

 ひとに先駆けてやればできなくても当たり前なので問題はなかっただろうが、後塵を拝してしまうともういけません。まわりのみんなができているのに自分だけできない、というのが許せないのだ。ならな練習して上達するのが世の倣いだが、わたしは逃げてしまった。

 わたしも親となり子どもにせがまれ仕方なく竹馬も凧揚げもやってみたが、どちらも難しいものではなく、初体験でもなんとかやりおおせた。案ずることはなかった。

 紙芝居、駄菓子は性格ではなく単にお金の問題。買うお金を持っていなかったのだ。当時は場末といわれる地域に住んでいたのだが、その中でもお金持ちの家の子やどちらかというと貧しい家の子は多い少ないの違いはあるものの毎日お小遣いなるものを貰っていたようだ。それをもって駄菓子屋や紙芝居で買い物をすることができた。

 ところが、我が家のような中途半端なところがいけない。子どもが金を持つとろくなことはないとか、買い食いは不潔だとか、妙な判断が働いて、日々お小遣いを貰うということがなかった。月額で貰っていたような気がする。もっとも十歳に満たない子どもが一ヶ月分まとめてお小遣いをもらっても、それを砕いて毎日いくらという風には使いづらいものである。

 というようなわけで、昭和を語るに欠かせない、竹馬や凧揚げ、そして駄菓子屋や紙芝居にもあまり縁のない生活を送っていた。いま思えば、ちょっと残念なり。