2010-01-01から1年間の記事一覧

オブラート

かつてオブラートというものがあった。確か丸い缶に入っていた。粉薬を飲むときにつかう。粉薬をオブラートで包んで飲み込む。 薬の苦さを感じないため、途中で咳き込んで薬が所定の場所まで届かないことのないように、途中で消化されずに目的地まで到達する…

水分補給

運動の途中に水を飲むことは固く禁じられていた。ハーフタイムには檸檬を囓って乾きをごまかすだけ、ほんの少し飲める水には塩が溶かされていた。たくさん飲めといっても飲めるものではない。乾きがとまるどころか咽が焼き付いてしまいそうになる。 運動中に…

タッパーウェア

〝タッパーウェア〟をご存じのかたはどれほどいらっしゃるだろうか。 主に冷蔵庫で食品を保存するためのプラスチックの密閉容器である。その容器を販売する会社の名前である。 このプラスチック容器、いまでこそ、スーパーや雑貨店、あるいは百円ショップな…

落書き

スプレイ缶のペイントを使った、一種独特なフォント(?)による派手ならくがきをあちこちで見かける。建物の壁などに大きな文字で自らの属する集団名などを描きつける。消しにくい油性塗料である。なかには芸術的に見えるものもあるし、どうやってこんなと…

好きだったクルマ

子どものころ、外車に関する情報はほとんど知るよしがなかった。わたしの場合、どうやって手に入れたかわからない、ボロボロになってしまった本が一冊、それと池沢さとしの漫画だけである。 その中で、贔屓にしていたクルマがある。一台はロータス・エランだ…

自動車レース

昭和三十年代後半頃から、鈴鹿サーキットでの自動車レースがテレビ中継されるようになった。池澤さとしの漫画の影響を受けて、わたしもいっぱしのレースファンになっていた。 むろんF1レースなどではなく、市販車やその特別チューンアップが出場するレース…

全集

本来、全集といえば個人の全作品を集めたものを指すようだ。いま流通している全集も個人全集ばかりだ。 ところが、日本文学全集だとか世界文学全集と銘打った全集が出回った時期がある。一社があてればほかの出版社も追随しえ各種全集が出そろっていた。少年…

自転車のライト

近ごろ自転車を買った。ライトも必需品として装着した。 そのライトなのだが、電球はLEDになっていた。しかも七つも付いている。いまだ夜道は走っていないので実施の走行時の明るさはわからないが、試しに点灯した限りではかなり明るい。七灯のうち何灯点灯…

角砂糖

角砂糖を見かけることも少なくなった。かつては「お砂糖、おいくつ?」なんて問いかけもあったが最近耳にすることはない。 砂糖壺に入ったグラニュー糖よりも角砂糖のほうが上等と思われていた時期もあった。確かにグラム単価は角砂糖のほうがぐんと高いだろ…

ハロウィン

気の早いところでは早くもハロウィンの飾り付けやその販売がはじまっている。昭和の頃にはハロウィンなんて知るよしもなかった。 偶然ではあるけれど、わたしがハロウィンを知ったのは比較的早かったかもしれない。それでも70年代前半、昭和40年代後半である…

サイダー

子どものころのハレの飲みものの代表はサイダーだった。 当時炭酸飲料はサイダーとラムネくらいしかなかったのではないだろうか。そしてラムネは日常すなわちケの飲料、サイダーがハレの飲料であった。わたしも、やはりラムネよりサイダーを好んだ。 戦前の…

消えた言葉2

以前(2010/4/19)ゼッケンという言葉が消えたことについて書いたが、同じようなことをいくつか。 ズボンのバンドはベルトになり、野球のバンドはバントになった。ベルトを触ってバントのサイン、というのもなくなったのだろうか。 ズボンといえば、ズボンの…

学生帽

めっきり見なくなったもののひとつに「学生帽」がある。わたしが現役の頃には、それを被ることを強要されていたのだが、いつのころからかまったく見かけなくなった。 あの帽子は詰め襟の学生服につきものだったが、詰め襟がブレザーに変わったり、はたまた制…

ラジオ体操

いまもむかしも変わらぬ夏(休み)の風物詩のひとつにラジオ体操がある。 〝変わらぬ〟と書いたが、様相は少し変わっているようだ。 わが地域固有のことかもしれないが、ラジオ体操の実施期間が短くなった。むかしは休みのあいだ中ずっとあって、お盆の頃だ…

麦わら帽子

頭が蒸れるので帽子はあまり好きではない。とりわけ帽子が必要とされる炎天下は蒸れが激しく被る気にならない。 そんなときに百円ショップで麦わら帽子を見つけた。ものは試し、百円なら良いかと買ってみた。因みにこの帽子、女児用(女性用ではなく女児用と…

八月十五日を休日に

八月十五日。昭和の中でもっとも重い一日であろう。前々から思っているのだがこの日を休日にすべきではないだろうか。 終戦記念日、敗戦記念日、平和の日。呼びかたはどうでもよい。建国記念日などに比べてその重要度はぐっと高い。 この時期はお盆とも重な…

おしろい花

おしろいという花、むかしは何処にでも咲いていた。とんと忘れていたのだが、このあいだ、たまたま見かけて、そういえば、昔はよく見たな、と思い出した次第。花に覚えもあるが、黒くて丸い種もなつかしい。 最近見かけなくなったのは、ご多分にもれず外来種…

公衆便所

マナーに関して、昭和より平成のほうが断然優れていると書いたが(2010.5.13)、公衆便所に関してもまったく同様である。 昭和の公共トイレ事情は劣悪だった。水洗ではないので蠅が舞ったり、ウジ虫が這いまわっているのはしかたがないとしても、まったくも…

荷造り

いまや宅配便が当たり前になり、大変便利な世の中になっている。小包の世界に関しては宅配前と後では大いに様相を異にしている。 宅配というシステムそのものの違いは当然として、それ以外の面でもいろいろ変化している。荷造りの方法もそのひとつである。 …

とんぷく

「頓服」と書く。 医者にもらう薬のことを祖父母はこう呼んでいた。しかし、父母がそう呼ぶのを聞いたことはない。なので、わたしもそう呼んだことはない。 広辞苑を引いてみると、〝分服でなく、その時1回に服用すること。また、その薬剤〟とある。つまり…

洗面器

顔を洗うときに洗面器を使っていたひとが多かったように思う。そもそもが顔を洗う器だから洗面器である。 流しに置いた洗面器に水をため、その水を使って顔を洗う。これが当たり前の光景だった。 わたしはなぜか洗面器を使わなかった。水道の蛇口からでる水…

トマトは塩をふって食べるのが普通だった。すいかにも塩をふって食べていた。そして焼き芋にも……。 最近はどうだろう。トマトにもすいかにも焼き芋にも塩はふらないのではないだろうか。 どうして好みが変わってしまったのだろうか? まあ、塩分控えめの風潮…

トロリーバス

なんだか良くわからないもののひとつにトロリーバスがある。 トロリーバスというのは都電・市電などの路面電車のバス判である。つまり、空中に張られた架線からパンダグラフ様なもので電気を得、それを動力として走るバスである。バスであるからして線路はな…

続・いちごの食べかた

4月4日に苺の食べかたについて書いたが、週刊朝日6月18日号で東海林さだおも同じことを取り上げている。むろん、話の展開や文章の巧拙は比べるべくもないが、内容はかなり重なっているように思われる。 違いをいくつか拾ってみる。 苺をつぶすための専用のス…

物干し

今では戸建て住宅、集合住宅を問わず洗濯物はベランダに干すのが普通のようだ。下にコンクリートの錘のついた物干し台も売られていたが、ベランダ派に圧倒され、すっかり影をひそめてしまった。 戸建ての場合、昔は庭先に柱を二本立て、大概は三段ほどに物干…

はなかみ

教科書、ノート、筆記用具などとならんで小学生の必携の品にハンカチ、はなかみがあった。 このはなかみ、いまではポケットティッシュという便利なものがあるが、当時は単なる紙であった。これを何枚か重ね、折り畳んでポケットに入れる。 ポケットの中で擦…

停電

昔、停電は日常茶飯事のできごとであった。 むろん、昭和の後半にも停電はあった。ドリフターズの『全員集合』の生中継会場が停電になったハプニングもあった。平成の御代でさえ、サッカーだか野球だかの夜間試合の照明が落ちてしまったこともあった。 どち…

電話

小中高と全校生徒の住所録が毎年配られていた。今のように個人情報の保護など思いもしなかった時代である。 それを見ると小学校では無いほうが多く、中学校でもまだ無いほうが多く、高校になって半々くらいになったであろうか。 住所のあとに記載されている…

テレビの五分間番組

むかしのテレビのことを語り出したらキリがない。だけど、ふと思い出したことがある。あまり意識したことがなく、時間が経つと忘れてしまいそうなので、備忘のために記す。 それは五分間番組。昔の放送では三〜五分間くらいの番組がたくさんあった。時間調整…

煙突

昭和が去って消えたもののひとつに煙がある。 工場の煙突。勢いよくモクモクと吐き出す真っ黒な煙は高度成長のシンボルでもあった。やがてこの煙は大気汚染の元凶とされ色を無くしていった。多くの煙突は残っているが使われていないものも多い。使われていて…