停電
昔、停電は日常茶飯事のできごとであった。
むろん、昭和の後半にも停電はあった。ドリフターズの『全員集合』の生中継会場が停電になったハプニングもあった。平成の御代でさえ、サッカーだか野球だかの夜間試合の照明が落ちてしまったこともあった。
どちらも後々までも語りぐさとして語り継がれている。これは言ってみれば前代未聞、希有なできごとであったからであろう。
ところが三十年代の昭和では、停電は決して珍しいものではなく、日常茶飯事の出来事であった。
台風の時は、ほぼ例外なく停電になった。隅田川と荒川に挟まれた我が家では真っ暗闇の中で洪水の恐怖におののいていた。暗闇は必要以上に恐怖を呼びよせる。
実際のところ、水面はどの程度上昇しているかもわからい。水流の勢いもわからない。想像は悪いほうの度を増していく。今のようにテレビの中継があれば、正確なことがすぐにわかるのだが。もっともいくら中継されても停電ではテレビを見ることもできなかっただろうが。
まあ、怖いけれども停電になったらなにもできない。暗闇の中でじっと耐えているよりほかはない。
いまになってはの話だが、この暗闇の中で耐えるというのも貴重な経験だった。さまざまな恐怖と闘い、さまざまな妄想の産物とも闘った。クリエイティブな時間と言えなくもない。繰り返すが、あくまでも今となってはの話だが。