2015-01-01から1年間の記事一覧
年も押し迫ってくると大掃除の季節である。 いま、大掃除の対象としてまっさきに挙がるのは換気扇の掃除だろう。油でべとべとになった換気扇。かなり厄介な相手である。 が、昭和の大掃除といって、一番に挙がるのは換気扇ではなかった。いや、換気扇は番外…
昭和に時代、押し売りという商売(?)があった。戸締まりがまだまだ曖昧だったころの話である。留守が少なく、家には誰かがいたころの話である。 がらがらっと戸を開けて(ドアではなく引き戸が多かった)勝手に入りこみ、どかっと座り込む。家のひとがでて…
ペットボトルが出回る前、缶入りジュースというものがあった。 缶というのは普通、缶切りでギコギコとふたを切り開けるものだった。あるいは、コンビーフ缶のようにクルクルと巻き取って開けるものだった。パッカンはまだ無い。 ところが、缶ジュースはまっ…
昭和の時代、列車の座席の下はゴミ箱だった。食べ終わった駅弁やらお茶の容器、みかんの皮、読み終えた新聞や雑誌もみんな座席の下に押し込んでいた。煙草の吸い殻まで座席の下に押し込むひとがいた。 公共心がないわけではない。むしろこうするのが暗黙のマ…
かつて、ひげを剃るのは安全カミソリ。いまはどうだろう、電動式が大半を占めているのではなかろうか。安全カミソリも数は減っているが根強い人気がある。が、これらはシックやジレットといった特殊な刃先をもった安全カミソリである。これらの刃はそれでし…
交通量の烈しい交差点の真ん中には、朝礼台のような台があって、そこにお巡りさんが乗って交通整理をしていた。笛をくわえ、警棒をもって、進め/停止を指示していた。 なかには、ダンスパフォーマンスよろしく、切れの良いきびきびした動作を見せるお巡りさ…
昭和の時代にはロール状のいわゆるトイレットペーパーはなかった。いや、あったかもしれないが普及はしていなかった。家庭にまでは入りこんでいなかった。 家庭で使っていたのは、落とし紙とかちり紙とかはな紙とか呼ばれていたものである。ロール紙ではなく…
ちかごろ人々のマナーが確実に良くなっていることは何度か書いた。路上でのマナーもしかり。かつては道を歩いていて、しょっちゅう犬の糞やらガムを踏んづけて往生したものだ。ところが最近では、どちらもほとんどなくなっている。マナーの向上の一例であろ…
いまの歯磨き剤はほとんどチューブに入った練り歯磨きであろう。昭和の時代には歯磨き粉も幅をきかせていた。粉末の歯磨き剤である。缶入りで、水に濡らした歯ブラシをつっこんで穂先につける。缶の中はそのうちに水がたまってグシュグシュになってしまった…
国技館と言えば両国国技館を思い浮かべるかもしれないが、昭和の国技館は蔵前だった。 もともと国技館は歓楽の地両国にあったのだが、戦後GHQに接収されてしまったので、蔵前に新たに作ったとのこと。その後、三十年にわたって国技館は蔵前だった。 個人的に…
昭和の自動車というとミゼットをはじめとするオート三輪となってしまいますが、忘れられないのがピックアップ・カー。 ピックアップというのは小型のトラック全般の総称のようですが、わたしのイメージはもう少し限定されます。 それは、乗用車の車台を使っ…
給食を懐かしがる声も聞こえてくるが、わたしにとって給食は苦痛以外のなにものでもなかった。とにかくまずかった。 脱脂粉乳はさほど苦手ではなかった。ボソボソのコッペパンもダメではなかった。それなのに給食はまずかった。そんなものではなく主食がダメ…
昭和の時代、額縁に絵を入れてそれを部屋に飾っている家がたくさんあった。いや、いまでも絵や写真を飾っている家はたくさんあると思うが、当時とはすこし様相が異なる。 違いのひとつはそうしている家の数。これはかつてのほうが遙かに多かった。 違いの二…
昭和のプロ野球にはダブルヘッダーなるものがあった。 ダブルヘッダーというのは一日に二試合することを指している。なにがヘッドなのかわからないが……。和製英語かもしれませんが。 ふつうは同一チームと二試合するのだが、ときには変則ダブルヘッダーなる…
いささか時期をはずしてしまったが、夏の必需品のひとつに蚊帳があった。昭和の室内には蚊がたくさんいた。なので夜になったら蚊帳を吊り、その中に入って蚊を逃れる。 蚊帳に入ってしまうとテレビを見ることもできない。本も読めない。テレビや照明は蚊帳の…
以前、喫茶店の定番メニューとしてミルクセーキについて書きましたが、まだありました。 ひとつはナポリタン。ケチャップ味のスパゲティですね。ただし、これはいまも続けているとこも少なくありません。 もうひとつがレスカ。レモンスカッシュです。レモン…
ちびっ子という言葉があった。かつてはもてはやされていた。ちびっ子を関したテレビ番組もいくつかあった。が、いまでは死語となってしまった言葉である。死語といったが、NHKニュースだけはいまだに使い続けている。 同じような言葉を思いついた。それは、…
昭和の大人はポケットに仁丹を偲ばせているひとが多かった。専用のケースから二粒、三粒降り出して、ぽいっと口に放り込んでいた。父が買ってくるのか、わが家にもひとつふたつ仁丹ケースが転がっていた。中身が入っているのでときどきご相伴にあずかってい…
男性用水着の話です。そもそも男性用水着をどうして海水パンツ、略して海パンと呼ぶようになったのでしょうか? ちょっとした疑問です。まあ、それはさておき、 昭和を代表する海パンは、濃紺の裾の短いトランクス型。そして決め手が白いベルト。ベルトを通…
昭和の時代、水中花というのが広まっていた。ビニールかなにかでこしらえられた茎と葉っぱのついた花で、水の中にいれると水中植物のように見えるという代物である。大概は安物っぽい代物であった。 それが普及していた。ほとんどの家庭に一本くらいあったか…
東日本大震災のとき、首都圏でも、あっという間に停電した。首都圏の発電設備、変電所、送電設備に障害が発生したわけではない。なのに、間髪をいれず見事に停電した。そして、そのあとも、計画停電というわけのわからない事態が続いた。これも、きわめて手…
歯の磨きかたもさることながら、歯を磨く〝とき〟も指導された。 朝起きてすぐと、夜寝る前である。 夜は良い。問題は朝である。 夜寝る前に磨いた歯が、朝起きたときに汚れているだろうか。そんなはずはない。朝起きてすぐの歯磨きは意味がない。 強いて言…
葉の磨きかたの指導がときとともに変わってきた。 なにも教えられなかったころは横にゴシゴシ動かしていた。 その後、最初の指導ではブラシを縦に動かすよう教えられた。確かに縦のほうが、歯間に詰まったゴミを掻き出しやすいし、歯を傷つけることも少ない…
昭和のなつかしさの上位にくるもののひとつにオート三輪がある。いまではすっかり見かけなくなってしまったので、余計に懐かしいのかもしれない。 昭和の風景の定番として出てくるもののひとつにダイハツのミゼットがある。爆発的に普及した小型のオート三輪…
昭和の時代はいまよりも「死」というものが身近に存在していたような気がする。しょっちゅう、死にであっていた。 子ども向けの物語にも死はふつうに登場していた。たとえば、『赤毛のアン』。この本を読んでいると随所に死が出てくる。死というのが日常的な…
まだテレビが普及していなかったころの家庭にも、映像的な娯楽はありました。映像と行っても動画ではなく静止画ですが。それが、幻燈です。 スライドともいいますが、私はスライドと幻燈を区別しています。まったく私的な区別であって、世間では通用しません…
クレージーケンバンドの歌詞のなかに「よこわけハンサム」という言葉がでてくる。この横分けという言葉、いまでは死語だろう。 中学生、高校生になると髪の毛を少し伸ばして、横に流したくなる。 いつやるか。あっけらかんとやるか。めだたないようにすこし…
昭和の梱包は木箱だった。蜜柑も林檎も木箱にいれて輸送されていた。 なので、木製の蜜柑箱、林檎箱があった。蜜柑箱をひっくり返して、テーブルや勉強机にすることも珍しいことではなかった。 なにかを送る時は、この蜜柑箱や林檎箱につめ、籾殻や丸めた新…
扇風機はまだまだ貴重で、お店とか金持ちのお宅でしかお目にかかれなかった。丈夫そうな黒い重厚な製品である。 が、日本の夏は暑い。しばらくすると一般家庭にも入り始めた。このころになると、作りは軽快になり、色も涼しげな淡色に変わってきた。 新しい…
殺虫剤といってよいかどうかはおいといて、 昭和の時代は、まずは蚊取り線香。 ベタベタ粘着テープのはえ取り紙。ハエがいっぱいくっついていて汚らしい見栄え。ときには人間もくっつきました。 ガラス製のはえ取り機。上部がロート状になっていてその下に長…