停電

 東日本大震災のとき、首都圏でも、あっという間に停電した。首都圏の発電設備、変電所、送電設備に障害が発生したわけではない。なのに、間髪をいれず見事に停電した。そして、そのあとも、計画停電というわけのわからない事態が続いた。これも、きわめて手際よく実施された。原発の必要性を認識させるための施策であり、平静時に十分に検討されたものを、訓練の成果よろしく実行されたのではなかろうか。原発事故対策がまったく取られなかったの対して大きな違いである。いや、これは本題にあらず、

 昭和の時代、しょっちゅう停電に見舞われた。台風や雷のときはほぼ当たり前のように、そうではない、まったくの平常時にも突然停電した。停電だけでなく、ブレーカーもよく落ちた。どちらもインフラの問題だろう。停電は電力会社の設備・運営の問題、ブレーカーは各家庭の問題、急激に増えた電化製品に対して容量が足らなかったのだろう。

 停電で一番困るのはテレビを見られなくなること。おうおうにして一番いいところで写らなくなってしまった。が、大きく困ったのはこれくらいではないだろうか。まあ、そんなものだろうと思っていたこともある。

 現在は、インフラも充実し、停電はほとんどなくなった。また、家電製品の数は増えてはいるが、ひとつひとつの機器の消費電力が減っていることもあってブレーカーが落ちることも減っている。

 なのだが、いまの時代、ほんのわずかな時間の停電、瞬電ですら、パソコンのデータが飛んでしまったりして大変な事態を招きかねない。

 どちらがよいのかはわからないが、昭和のころのほうが強かったのは確かだろう。