東京オリンピック。我が元号最後の年

 子どもころを振り返って最大のイベントは東京オリンピックだった 

 とりわけ開会式。スカッと晴れた青空の下(テレビは白黒だったが)、ファンファーレが響き渡り、軽快な行進曲に乗って各国の選手団がぞくぞくと現れる。競技場にどんどん選手が増えてくる。ひとが増えるのを見ていると、なにかが大きく進歩しているような、力が増してくるような気持ちになってきた。きっちりと管理された開会式がシナリオ通りに進行するのを、ハラハラしながら見守っていた。聖火が無事点火されるとものすごい安堵感を感じた。

 そして閉会式。管理され張り詰めた開会式とは打って変わって、自由で楽な雰囲気の行進。闘いを終え、緊張が去り、楽しそうな選手たちの表情。この開会式と閉会式の差は意図されたものだったのかそれとも自然発生だったのか。それはともかく。

 わたしはどういうわけか、東京オリンピックから年号を西暦で数えるようになった。オリンピックで国際性に目覚めたのかもしれない。

 オリンピックまでは昭和。といっても元号で覚えているのは、家族の生年と昭和33年くらいなもの。昭和33年は東京タワーが完成し、個人的には東京生活最後の年。

 東京オリンピックは1964年。以降学校の入学、卒業、就職、結婚、子どもの誕生日、転職、転居、退職、その他もろもろ、みな、西暦である。

 元号が平成に変わるとなおさら西暦である。もともとは国粋的なことが嫌いで西暦を遣っていたこともあるが、元号が変われば実用の面でも断然西暦である。二つの元号にまたがる年数の計算なんてとてもやってられない。

 なお、お役所はいまだ元号である。ひとり遅れていながら、市民に元号での記載を強いている。やだねえ、まったく。