2011-01-01から1年間の記事一覧

正月

昭和の正月はどうだったのだろう。今とどう違っていただろう。 正月にはもっと重みがあった。正月は特別な日、その日に向かって、時には突貫でいろいろ準備し、正月にはなにもしなかった。むろん、店はみな休み。みんなが正月休みだった。 テレビも多様性に…

木彫りの熊、大黒さま、福助人形

なぜだか良くわからないのだが、鮭をくわえた木彫りの熊をよく見かけた。これは北海道土産の定番で、元はアイヌの作品だったような。 旅行というものがさぼど普及していたようには思えないし、北海道に親戚が居る家もそう多くは無いだろうし、出張も控えめだ…

ミルクホール

ミルクホールというものがあった。わたしが覚えているのは一軒だけで、それが標準的なものかどうかは定かではない。 とりあえず、わたしの知っているミルクホールはごく近所にあった。それはパン屋さんだか牛乳屋さんだかの二階に後付けで造られた。パン屋だ…

ガラスの引き戸

個人宅の玄関や商店の入口でガラスの引き戸はごく普通に使われていた。いまではすっかりと影を潜めてしまった。新築する場合には端から検討の対象外となっている。 昭和の面影が残る町を歩いていると、未だ健在なガラスの引き戸にお目にかかることがある。ガ…

航空バッグ

航空バッグなるものがあった。日本航空だのエアーフランスだのパンアメリカンだのと航空会社のロゴが大きく描かれた、ナイロン製のショルダーバッグである。 パック旅行を予約したり、航空券を購入するともらえる物らしい。飛行機に乗ることがまだ珍しかった…

お得な自販機

いつもの昭和よりは少し後、西暦で言うと70年頃、ロングサイズのピースが百円のころの話です。 近所に煙草の自販機があった。まったくの偶然だが、こんな事象(業者にとっての不具合、利用者にとっての好都合)があることを知ってしまった。 それはこんな具…

障子の破れ穴

障子は紙だから、何かの拍子で破れることがある。中をのぞこうとして、指先を舐めて、わざと穴をあけることもある。八つ当たりで破いてしまうこともある。 さて、破れた障子はどうするか。張り替えるのは年に一度、年末大掃除の時くらいである。かといって穴…

交通整理のお巡りさん

昭和の時代には、大きな交差点の真ん中では、警棒をかかげ、笛を吹き鳴らして、交通整理をするお巡りさんをよく見かけた。 なかには、一点の無駄もない、きれのよい動作で注目を浴びる、人気者のお巡りさんもいた。 当時も信号はあったと思うのだが、お巡り…

横浜駅の通路

今の横浜駅を大ざっぱに言えば、電車が南北に走り、その線路の東西に駅の入口がある。東口と西口を結ぶ通路は自由通路となっている。その自由通路にJR、京急、東急の改札がある。相鉄と市営地下鉄は少し離れたところにある。 かつては違っていた。東口と西…

ピアノの音

昭和のころ、休日の午前、午後はピアノを練習する音が角々から聞こえてきた。練習なので間違えたり、つかえたり、同じ所ばかりを繰り返していたりもする。上達する過程を知ることもできた。 小曲ばかりなので、軽い気持ちで聞くことができ、柔らかく和(なご…

消えた東郷青児

以前はごく当たり前のように目にしていたが、近ごろとんとみかけなくなったものがある。 東郷青児の絵もそのひとつだろう。青白い独特の色遣い、なよやかな曲線、エネルギッシュではないが、それでいてにじみ出てくる生命。上品、繊細、女性っぽさ。 絵を言…

印刷——謄写版、青焼き、ゼロックス

昭和の印刷といえば謄写版である。原稿は、蝋引きの原紙に鉄筆で文字や絵を描く(つまり蝋を剥がす)。失敗したことろは鉄筆の頭でこすると、蝋がもどり消すことができる。わら半紙の上に原紙を置き、その上にインクをつけたローラーを転がすと、鉄筆で蝋を…

内職

かつては内職に携わる人も少なくなかった。在宅での仕事である。ほとんどは、こまごましたことをきわめて低額な単価でこなしていた。 近所では造花づくりをするおばさんをよく見かけた。何処で使うのか知らないが、明らかに一目で作り物とわかる花にかなりの…

小包

いまでは小包と言う言葉自体廃れてしまった感がある。宅急便/宅配便が始まって、荷物を送るのが画期的に楽になった。 かつては木箱が主体であった。段ボールはまだ普及していなかった。みかん箱もリンゴ箱も木製であった。この木箱に荷物を詰め、フタ(もち…

安全カミソリ

電動ではない髭剃り器を安全カミソリというのならそれはいまも在る。ただし、昔のそれとは別物である。 昔の安全カミソリは両側に刃のついた刃(ヘンな日本語になってしまった。カミソリとは(髭剃りの別称ではなく)本来はこの刃のことなのだろうか)を挿入…

ジョギングの水分補給

かつてジョギングをやっていたことがある。クツにしろウェアにしろ、今と比べれば随分と貧弱な時代だった。でもまあそれらはなんとかなった。 どうしようもなかったのが〝水分補給〟である。いまはペットボトルというものがある。ところが当時は蓋が閉まり、…

牛乳瓶の蓋

昭和の牛乳はガラス瓶に入っていた。とうぜんながら瓶には蓋がされていた。 今のペットボトルのようなスクリュー式の洒落た蓋であるるはずはない。ビールの王冠のようなものでもない。 それは厚紙。瓶の口の内径よりもほんの少し大きなサイズの円盤形の厚紙…

伝言板

なくなってしまったもののひとつに駅の伝言板があります。 すでに伝言板を知らない世代もいるでしょうね。簡単に言えば、だれでも利用できる黒板です。大概は駅の目につくところにありました。記入日時と要件を一行で記入します。たとえば、待ち合わせ時間に…

パンツ

ズボンのことではなく男子の下着の話です。これは時代性というより、地域性の違いかもしれませんが。 ものごころついたときはつるつるっとした生地の白無地トランクスタイプのパンツを履いていた。周りのこどもたちもほとんど同じだった。上にズボンを履かず…

壁スイッチ

ドアを開けて部屋に入り、壁のスイッチを押すと照明が灯る。あたりまえの情景だが、昭和の時代はそうはいかなかった。 照明器具は天井からぶら下がっていた。そして、そこからひもが伸びていた。その紐を引くことによって、照明を入れたり切ったりしていた。…

子音だけの発音

昭和の大人は子音だけの発音が苦手だったようだ。 英語にはそのような言葉も多いので、大いに困ったようだ。 "k" で終わる言葉が多く、大いに苦労したようだ。母音無しで「ク」と発声すればよいのだが、なぜかそれができない。しかたなく、カナ表記そのもの…

子どものころの外国——アメリカとフランスだけ

わが少年時代、外国は遠い遠い存在だった。満州を除いては外国へ行った人もいなかった。テレビとか映画雑誌で見るばかりであった(子ども故、外国映画そのものは観ていない)。 で、そんな子どもにとって外国といえば、まずはなんと言ってもアメリカ。これは…

昭和っていつ?

昭和をイメージするとき、反射絵的に33年頃、すなわち三丁目の夕日の時代、東京タワー完成の頃を思い浮かべる。小学校の中後半を過ごした時代である。都合によっては、中高生、ときには大学、あるいは社会人早期までを昭和に含めてしまうこともあるが、これ…

扇風機

節電対策とやらで扇風機が見直されているらしい。 出回りはじめたころの扇風機は強力な味方だった。それまでは団扇、扇子の時代である。エアコンがつくまでにはまだまだ間がある。 むろん、ひとりに一台であろうはずはなく、一家に一台である。当然のように…

意味不明——栓をたたく

ビールやサイダーの栓(王冠)を抜く前に、栓抜きで王冠を叩く人が少なからずいた。 大概は、コンコンと二度叩いてそれから栓を抜いた。これはなんのため? 「今から抜くよ」とビールやサイダーに合図を送っているのだろうか? 栓を叩くと炭酸が活性化し、美…

意味不明——フォークの背にご飯

ちょっと気取ってナイフとフォークで食べる洋食。でも、パンよりご飯。洋食の場合、ご飯は茶碗ではなく、平たい皿に盛られている。それをスプーンではなく、フォークとナイフを使って食べる。 そのとき、奇っ怪な行動が現れた。ご飯をフォークの背に乗せて食…

月の土地を買う

昔、月の土地が売られていた。誰が売っていたのかはわからないし、その人がどうして売る権利を持っていたのかもわからないが、とにかく誰かが売り、欲しい人が買っていた。 詐欺だのなんだのといった問題になったこともなかった。 もっとも月の土地である。…

運動靴

梅雨を迎え、防水の運動靴が欲しくなり地元商店街の普通の靴屋さんで物色した。ゴアテックス製で履き心地のしっかりしたものがみつかったので買って帰った。 帰宅して箱から取り出そうとしたら、箱に〝ASAHI〟と書かれているの気がつき、なつかしさを覚えた…

寄生虫検査もしくは検便

トイレはくみ取り式、くみ取った便は肥料として再利用。かつてはそれがあたりまえだった。 であるから、体内に寄生虫を宿していることもほぼ当たり前のことだった。便に交じって排泄された卵が便の中で孵化し、その便が肥料として撒かれた野菜について成長し…

はえ取り器、はえ取り紙

蠅は今も昔もぶんぶん飛び回っている。 わたしだけかもしれないが、昔の蠅のほうが今の蠅よりも不潔感が漂っていたような気がする。それなりの理由もある。身の回りの環境も昔のほうが非衛生的であったから。 最大の違いはトイレ。昔は当然くみ取り式、言い…