2014-01-01から1年間の記事一覧

包装

荷物は紙に包まれ紐が掛けられていた。小包にかぎらず、デパートなどで買ったものも同様であった。 荷物が届いたり、家に持ち帰ると、まず紐をほどき、これをクルクルと円環状に巻き取る。そして、包み紙はきれいに剥がして丁寧に折り畳む。どちらも再利用の…

検便

学校では毎年検便が実施された。腸の病気を調べるのが目的ではなく、寄生虫の有無を調べるためであった。便そのものを提出して卵の有無を調べていた。卵が見つかった生徒には虫下しが渡された。これを貰うのはもちろん恥ずかしいことだった。 まずは便の採取…

セメンダイン

簡単な工作ができるようになったころ、使っていた糊は多分ヤマト糊。丸い蓋付きの容器に入っていた。黄色いチューブ入りが出たのはかなり後だったように思う。この糊、普通に紙を貼り合わせるのには問題なかったが、接着力があまり強くなく、使いかたによっ…

車内喫煙

昔は電車の中で煙草を吸うことができた。山手線などでは無理だが、東海道線、横須賀線などの中距離電車には灰皿がついていて喫煙可能だった。 山手線は無理だといったが、深夜の電車では酔っぱらいなどが車内で吸っていた。灰皿がないので、吸い殻は床に落と…

セロテープ、マジック、ホッチキス

子どもころ、突然目の前に現れた、これまでなかった文房具の新製品三つ。 まずはセロテープ。それまで使っていたのはビニールテープ。黒がメインだった。それが、突然、透明のテープが現れたのだからびっくり、仰天、有頂天。透明のテープ。貼った下が見える…

トレパン

トレーニングパンツを略してそう呼ばれていた。 もしかしたら、幼児が着用するものと勘違いされているかたがいらっしゃるかもしれません。オムツがとれた幼児が、確実にトイレに行けるようになるまでの間、つまりオシッコの訓練時に履くパンツではありません…

ヒコーキからのビラまき、アドバルーン

むかしは宣伝にアドバルーンがよく使われていた。気球のような大きな風船が空に浮いています。風船の下には宣伝の文言が書かれた大きな短冊状のきれがぶら下がっています。気球と違って、空にぽっかり浮いているわけではありません。ロープでしっかりとつな…

非常コック

「非常コック」ってご存じでしょうか。そんなものがあったなあ、とふと思ったのですが、最近は見かけなくなったような気がします。 本当に見かけなくなったのか、それとも注意力が散漫になって気がつかないだけなのか。さて、どちらでしょうか。 昔は、意識…

西部劇と拳銃

昔は西部劇が確固たる位置を占めていた。テレビでは、ローハイド、ララミー牧場、拳銃無宿、名犬リンチンチン、バットマスターソン、ボナンザ、シャイアン、ブロンコ、……。まだまだ、ありますね。映画も名作といわれる作品がたくさんありました。 西部劇の基…

天井板

いまは壁紙や漆喰、化粧合板、あるいはコンクリートの打ちっぱなしが多いようだが、かつての家の天井には生木が貼られていた。下々の家では、吟味された高級な板ではなく、安っぽい板が使われていた。 本物の板だから、一枚一枚木目が違っていた。節があった…

実はできなかった

懐かしの昭和で定番的に取り上げられる子ども遊び。見ていると懐かしく子どものころに帰って行く。と、言いたいところだが、実はまったくそうでない。懐かしくもなんともない。なぜならば、実はそのほとんどはやったことがなかったからである。 ベーゴマ、メ…

ジュースの素

瓶入り、紙パック、ペットボトル、缶。いまでは、色々な形で手軽にジュースが売られているが、昔はそうではなかった。瓶入りの濃縮ジュース(コンクジュース)があった程度ではなかっただろうか。むしろ、ミキサーを置いて生ジュースを売る店のほうが多かっ…

茶こしで紅茶

家庭で紅茶といえばいまやティーバッグが主流のようだが、もう少しうまい紅茶を飲もうと思えば、葉っぱから抽出するに限る。 ティーバッグがなかったころも、紅茶は葉っぱ(リーフティー)であった。ただ、入れかたちょっとヘンだった。 茶葉を入れたポット…

都電の曲がりかた

子ども頃、都電の分岐点で、どうして右や左へ曲がるのだろうと不思議に思っていたことがある。都電にハンドルはついていないので運転士が方向を決めているわけではなさそうだ。運転士はなにもせずとも自動的に方向が変わるようだ。 単純な機械的な考えしか浮…

給食

いまは懐かしく語られることの多い給食であるが、わたしにとっては良い印象は残っていない。 最初に給食に出合ったのは小学校に入ってすぐ。東京、北千住の一学年三クラスのこじんまりした小学校だった。ここでの給食は、具体的な内容は覚えていないが、美味…

総理大臣

今回は少々、昭和という範囲を逸脱します。 ものごころついたときの総理大臣は岸信介だった。安保反対のデモと対になって覚えている。が、まあ、それ以上のことは(当時は)知らなかった。 その次が池田勇人。がらがら声のおっさん。所得倍増を唱えながら、…

風呂は行くもの

風呂は入るものではない。風呂は行くものである。 内風呂はなく、銭湯に通うのが普通だった。なので、風呂とはまず〝行く〟ものである。 本当は、行くのは風呂屋なのかもしれない。でも、風呂屋とは言わず単に風呂と言っていた。風呂へ行って、入るのも風呂…

昭和30年代、40年代

わたしにとっての昭和とは昭和30年代である。小学生・中学生時代にピッタリと重なる。なつかしさが伴うのは、この時期が現在には確固としては繋がっていないからであろう。もややかすみがかかった世界にある。朧気ながら覚えていることもあれば、まったく記…

ペンホルダー

卓球の話である。かつて日本の卓球は強かった。世界屈指の実力だったように覚えている。 当時はペンホルダーというラケットの握りかたが主流であった。この握りかたが小器用な日本人に向いていたのだろう。なので強かったのかも知れない。 が、そのころから…

ハワイアン、ヨーデル

夏の音楽と言えば、かつてはハワイアンとヨーデルがふたつの花だった。海の家、山の家、商店街、ビアガーデン、何処へ行ってもこれらが流れていた。 最近はどちなもあまり耳にしなくなった。ハワイアンのスチールギター、ヨーデルの裏声と地声のスピーディー…

くろんぼコンテスト

差別用語ではない。子どものころ、夏の定番催しのひとつにくろんぼコンテストというものがあった。なんのことはない。日焼けして黒くなった肌の、黒さの度合いを競うコンテストである。 参加するのはおもに男の子。みな見事に真っ黒だ。黒光りしている。真っ…

万能薬

かつては万能薬というものがあった。なんにでも効く薬である。 古くは葛根湯。これは内科にも外科にも効く万能薬と思われていた。病状がわからない時はとりあえず葛根湯を処方する医者もあったとか(落語の話ですが)。 昭和の万能薬はメンソレータム。近江…

サッカーW杯

ブラジルで開催されてサッカーのワールドカップはドイツの優勝で終了した。 ところで、ワールドカップというものを多くの人が知ったのはそう昔ではない。おそらくはJリーグが始まって以降のことであろう。 1972年のメキシコ・オリンピックでサッカーの日本…

アスパラガス

昭和のアスパラガスは白かった。八百屋では売っていなかった。もっぱら缶詰として売られていた。少しにおいのする独特な味わいのある食品である。 余談だが、缶詰は底の側をあける。そうすると、一本ずつちぎれることなく取り出すことができる。 いまの主流…

ステテコ

昭和の時代、ステテコは市民権を持っていた。 ステテコ姿で家にいる時、不意に誰かが尋ねてきても、とくに上にズボンをはくこともなくそのまま応対することも普通だった。 家の中ばかりでなく、ステテコ姿で外に出るひとも少なくなかった。 植木等や加藤茶の…

お使い

さほど多くはないが、お使いに行かされた。スーパーやコンビニはなかったので、それぞれを扱っている店に行く。 容器に容れて売られているものもほとんどなかった。 豆腐を買う時は鍋を持って行く。鍋に豆腐と水を入れて、持って帰った。屋台のおでんや(※)…

縁台将棋

縁台将棋というのがあった。蒸し暑い夕刻に、路地の縁台に腰掛け床几をさす。夏の風物詩であった。典型的な昭和の一風景である。 いまではすっかり見なくなった。 縁台がなくなった。道路はクルマであふれ、とても縁台で夕涼みどころではなくなった。屋外は…

缶ビール

以下、わたし自身は子どもだったし、酒を飲む家族もいなかったので、もしかしたら勘違いかもしれないが……、 わたしが子どものころは缶ビールはなかった。もしかしたらあったかもしれないが、それでも普及はしていなかった。ビールといえば、瓶ビールであった…

はさみ虫

子どものころ、よく遊んだ虫はなんだろう。わたしの場合、ダンゴムシとハサミムシだろう。 ダンゴムシはいまでも身近に見ることができる。かたちが独特だし、動作が鈍いのでゆっくり眺めることができる。コンクリートのかけらを食っているという話を聞いたこ…

忍術から忍法へ

昭和の忍術は楽しく幼稚だった。 そもそもが「忍術」だった。その後の世代では「忍法」であろう。昭和の「忍術使い」は「忍者」へと名前が変わった。 名前が変わると、より高度に、より奥深くなってきた。 忍術使いの典型は杉浦茂の漫画にあった。丸顔でまん…