給食

 いまは懐かしく語られることの多い給食であるが、わたしにとっては良い印象は残っていない。

 最初に給食に出合ったのは小学校に入ってすぐ。東京、北千住の一学年三クラスのこじんまりした小学校だった。ここでの給食は、具体的な内容は覚えていないが、美味しかった。普段、家では見かけないような献立も多く、それよりも外食経験がほぼ皆無の珍しさも手伝って、なかなか美味しく頂いた。

 転校してからがいけなかった。転校先は大阪、豊中の一学年七クラスの小学校。ちなみに当時は一クラス五十人が普通だった。ここでの給食は最悪。野菜はともかくとして、肉がひどかった。鯨に限らず豚でも牛でもまずいなんてものではなかった。堅過ぎて咀嚼できないことも珍しくなかった。しかも噛むといやな味がにじみ出てくる。丸のまま飲み込むしかなかった。

 また、パン以外を残すことは厳禁されていた。食べ終わるまで外に出られない。そんな食育がなされていた。食事とは我慢するものなり。

 というわけですっかり給食嫌いとなってしまった。給食を懐かしむのは、我々よりもっとあとの世代であろう。もっとも北千住の小学校にいれば、美味しい給食のイメージが残ったかもしれないが。給食には時代による違いのほかに、地域(学校)による違いが大いにあったかもしれない。

 余談だが、ふらりと店に入ってもまずいところはまず無い、といわれる大阪で、まずくて苦しんだのは、この小学校の給食と、就職先の工場の社員食堂と独身寮(工場と寮は同じ業者)の食事が双璧となっている。群を抜いた双璧である。どうしたらこうまずくできるだろうか、と不思議に思うほどのまずさだった。