2012-01-01から1年間の記事一覧

最近、紐の出番がすっかり減ってしまった。資源ゴミを出すときに新聞、雑誌を束ねたり段ボールを縛ったりするくらいにしか使われていないのではないだろうか。棄てるために縛る。そんな使われかたしかしていない。しかも、新聞、雑誌は専用の紙袋にいれて出…

冬の朝の霜柱や氷

昭和の冬の朝には霜柱や薄く張った氷がつきものだった。 踏みしめるとキュッキュッとなる霜柱。水たまりや防火用水をのぞくと薄い膜のような氷が張っている。この氷を取り出して、投げたり割ったりして遊ぶ。 寒い冬の象徴のようなものだけど、必ずしも寒さ…

猥歌

カラオケがすっかり定着してしまったが、かつての宴席はアカペラ(というと聞こえが良いが要するに無伴奏)、手拍子の世界だった。カラオケで唄うのはマイクを持ったひと(だけ)であるが、アカペラ、手拍子の世界では大勢が一緒に唄うことも珍しくはなかっ…

ねずみ取り

ねずみを捕まえて役場かどこかへ持っていくと一匹につきいくらといった賞金をもらえる制度があった。 ねずみは猫いらずによる毒殺、あるいはねずみ取り器ごと水に着けて溺死させる。その死骸と引き替えに賞金がもらえた。 当時はそれほどねずみがはびこって…

物干し

物干し竿はいまもなお健在だが、物干し台のほうはすっかり様変わりしてしまった。 昔は、物干し棹を収める袖木のついた高さ三メートルくらいの二本の柱が立ってるのをあちこちでみかけた。個人の庭はもちろんのこと、奥まった路地にも堂々と立ち並び洗濯物が…

ゴミ箱

家の外にゴミ箱があった。防腐剤の黒い色をした木製のゴミ箱が塀にくっついておかれていた。上部が蝶番止めのフタになっていた。おとなひとりがかがんで入れるほどの大きさである。漫画やコメディーではよくひとが隠れていた。同じ形をしたコンクリート製の…

ガラスを割る

子どものころはよくガラスを割った。家のガラス、学校のガラス、そして近所の家のガラス。特に乱暴だったわけではない。本の些細な手違いで割ってしまうことがよくあった。 また、野球をしていて近所のガラスを割ることも少なくなかった。これは大変だ。叱ら…

教壇

昔の教室には教壇というものがあった。教室の前方が十センチほど高い段になっていた。教師はここに立って授業を行う。子どものころは、これがなんのためにあるのかわからなかった。というよりも、あるのが当たり前で理由など考えなかった、というのが本当の…

トイレの落書き

トイレが綺麗になると落書きも減った。というよりほとんど目にしなくなった。ごくたまに見かけるのはスプレーペイントを使った大胆なもの。なので、個室ではなく広い壁に書かれている。おそらくは、落書きするためにトイレに入ったのだろう。 昔の落書きは個…

パン屋さん

パン屋さんが人気があるらしい。確かに、美味しいパン、できたてのパン、珍しいパンを売る店が増え、結構繁盛しているように見受けられる。どこもが〝手作り〟を売り物としている。ということは…… 昔は、自分の店ではパンを焼かない店もたくさんあった。仕入…

ペナント

かつて観光地に土産として幅をきかせていたもののひとつにペナントがある。フェルト地などの厚く細長い三角形の布に、地名やら景色などを刺繍したり、貼り付けたりしたものである。 プロ野球でも、セントラルリーグ、パシフィックリーグ、それぞれのペナント…

切符

スイカやパスモを使って電車に乗るのが普通になってしまい、切符を買うことが激減した。まあ、現金をちゃらちゃらして切符を買う手間が減ったし、乗り換えやら予定変更もぐんと楽になったので悪いことではないと思っている。 が、昔もなつかしい。無論、いま…

花電車

まだ、都電が走っていた頃、なにか目出度いことがあると、造花で飾り立てた電車が走った。目出度さが増すと、提灯行列なんていうものもあったようだが、わたしが実際にc提灯行列を見たかどうかは定かではない。見たような気もするし、昔の話を聞いただけのよ…

旗日

敬老に日、秋分の日と祝日が続いた。残念ながら秋分の日は土曜に重なり、休みを一日損してしまったが。 その祝日をかつては、「旗日」と呼ぶひとがたくさんいた。祝日は文字通り、国のお祝いであるからして、日の丸を掲げて祝うもの、という考えがあった。 …

ハンケチ、ちり紙

ハンケチ、ちり紙という言葉があった。 ハンカチーフがハンカチと縮まり、さらに、どういうわけかハンケチとなまってしまった。いや、ハンカチーフではなく、ハンケチーフと発音するほうが原音に近いのかもしれない。チケットよりテケツのほうが原音に近いよ…

ヨーデル、ハワイアン

昭和の夏はあちこちでヨーデルとハワイアンが流れていた。山や高原など比較的涼しいところではヨーデル、海や町中の暑いところではハワイアン、といった棲み分けがあったようななかったような。これまた、近ごろとみに減ってしまったビアガーデンではハワイ…

ダブルブッキング

ダブルブッキングにもいろいろあるが、今回の話題は、電車の指定券の重複発行のことである。 同じ電車の同じ席の指定券を複数のひとに発行してしまう、ということがよくあった。これは昭和のかなり遅くまで発生していた。予約システムがコンピュータ化されよ…

文通

当然ながら、昭和の御代にはメールもブログもツイッターもフェイスブックもなかった。代わりに使われたのが手紙である。〝文通〟という交際があった。 といっても手紙でつながることはそう簡単ではない。ネットの世の中のように、不特定多数へ発信するわけに…

弱肉強食

題名も不確かだが「ジャングル」とかいうテレビ番組があった。五分か十分ほどの短い番組である。ディズニーの『砂漠は生きている』も同種の映画だったように思う。 内容は、動物と動物の闘いである。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。勝者は敗者を食べてし…

西部劇

はじまったばかりのテレビの大きな柱となったものに西部劇がある。もちろん、テレビの前に映画でも人気を博していた。 長い期間人気を博したあと、すうっと消えてしまった。なんでも、原住民、すなわちインディアンを不当に扱っているが排除の原因だとか。そ…

アイスコーヒー

アイスコーヒーの季節である。いや、冬でもホットよりアイスを好む人がいるほどである。アイスコーヒーは一年を通しての飲み物となってきた。 さて、そのアイスコーヒーであるが、これがいつごろから〝アイスコーヒー〟と呼ばれるようになったのか? と、言…

ラブホ

ラブホテル、略してラブホ。説明するまでもないだろうが、旅行などの宿泊を目的としたホテルではなく、男女間の営みのためのホテルである。馴染みやすい良い名前だと思う。 ラブホと呼ばれる前は、連れ込み旅館であった。これはあまりにも無粋でかつ陰湿な名…

路地の写真家

かつては変わった商売があった。 カメラを肩に路地に入ってくる。カメラは大概上から除く蛇腹式のものである。シャッターをセットしてからシャッターボタンを押すタイプ。 写真家はそこで遊ぶこどもをひとりずつ写真に収める。原則ひとり一枚だが、兄弟とわ…

若い根っこの会

若い根っこの会というのがあった。いや、いまもなおあるのかもしれないが、会の名を耳にすることはない。 若い根っこの会というのは、よくは知らないのだが、集団就職で都会に出て来た若者たちが、就職先の都会で集うための会のようだ。 高度成長の時代を背…

街頭地図

街頭地図というものがあった。いや、今でもあるかもしれない。 その街の商店などの地図である。たいていの場合、記載はまばらである。全商店が記載されているわけではない。それはなぜ? それは、地図制作者に代金を支払った店だけが地図に載るからである。…

伝言板

むろん、昔は携帯電話などなかった。それどころか、固定電話すら当たり前ではなかった。 固定電話すらなかったのでひとと会うのも大変だった。 まずは相手の家を訪れる。いちいち電報なんて打っていられないから、予告なしのいきなり訪問である。不在なら待…

ノーキョー

かつて一世を風靡したもののひとつに〝ノーキョー〟がある。農業協同組合、いまのJAである。 一世を風靡したのは農協そのものではない。農協が主催した海外旅行団体である。むろん、悪い意味でノーキョー、ノーキョーと言われていた。 いわゆる、日本人の…

H

「エッチ」と読みます。 わたしが子どものころの〝H〟はスケベという意味合いだった。変態の頭文字との説もある。とにかく、淫らなこと、嫌らしいことを簡単にHと称していた。 ところが、いつのころからかHの意味合いが変わってきた。近ごろでは性的交合…

押し掛け

自動車のエンジンの押し掛けを目にすることはほとんど無くなった。 かつては日常茶飯事、あちこちで目にした。いや、見ただけではなく、押すのを手伝わされたこともある。 停止しているエンジンは、電気でモーターを回し、エンジンに弾みをつけた上で点火す…

空き缶

最近あまり見かけなくなった遊びのひとつに缶蹴りがある。なぜだろうか。遊びの好みが変わってきたこともあるだろうが、それよりも大きな原因がある、と思う。 それは、空き缶が少なくなってきたこと。空き缶がなければ缶蹴りはできない。これが最大の原因で…