縁台将棋
縁台将棋というのがあった。蒸し暑い夕刻に、路地の縁台に腰掛け床几をさす。夏の風物詩であった。典型的な昭和の一風景である。
いまではすっかり見なくなった。
縁台がなくなった。道路はクルマであふれ、とても縁台で夕涼みどころではなくなった。屋外は冷房の室外機の吐き出す暖気でムンムンしている。
縁台を置く路地もなくなった。
いや、将棋そのものの人気も減ってしまったようだ。わたしが子どものころ、同級生男子の多くは、強い弱いは別として、とりあえず将棋を指すことはできた。いまはどうだろう。はたしてどれくらいの子どもが将棋を指せるのであろうか。ゲーム機で手一杯で将棋どころではないだろう。
(本当の)将棋だけではなく、はさみ将棋もまわり将棋も軍事将棋も五目並べもオセロもできない子が多いのではないだろうか。
また、夕方家にいるひとはどれくらいいるのだろうか。将棋ができ、路地があり、縁台があっても、仕事その他で夜まで忙しくて将棋どころではないのがいまの世ではなかろうか。
夕方の縁台将棋。その要素のどれもが、過去のものとなってしまった。実害はないとは思うけど、気持ちはさびしい。