風呂は行くもの

 風呂は入るものではない。風呂は行くものである。

 内風呂はなく、銭湯に通うのが普通だった。なので、風呂とはまず〝行く〟ものである。

 本当は、行くのは風呂屋なのかもしれない。でも、風呂屋とは言わず単に風呂と言っていた。風呂へ行って、入るのも風呂である。

 ところで、こんにちのレトロ訪問番組では、風呂屋とは言わず、銭湯と言っている。

 だけど、わたしに限ってかも知れないが、銭湯と言った覚えはない。風呂屋である。いや、違った。風呂屋でもなく、単に風呂である。

 風呂へ行くといえば、銭湯へ行くことである。当時、はたして銭湯という言葉が流通していたのであろうか。気になるところである。わたしは言ったことも耳にしたこともないが。銭湯といっているレポーターも当時本当に銭湯と呼んでいたのだろうか?

 落語の世界では、銭湯でも風呂でもなく、〝湯〟へ行くと言っている。入るのも風呂ではなく、湯である。湯に行く。湯に入る。かっこいい。わたしもそう言ってみたい。だけど、残念ながら戻ることのできないかこの話である。

 銭湯そのものに行く機会もほとんどないが、この先、温泉にでも行くことがあれば、「湯にいってくらあ」と一度でもいいから言ってみたい。