昭和30年代、40年代

 わたしにとっての昭和とは昭和30年代である。小学生・中学生時代にピッタリと重なる。なつかしさが伴うのは、この時期が現在には確固としては繋がっていないからであろう。もややかすみがかかった世界にある。朧気ながら覚えていることもあれば、まったく記憶にないこともある。

 小中学生といえば、いまだ定まらず、大きく揺れ動いていた時期である。振り返り見れば、おそろしいほど幼稚なこともあれば、赤面するほどに背伸びしていたこともある。でもまあ、いろいろあるけれど、要するに子どもだった。まだ世の中というものを知らなかった。それだけに吸収力もあった。そして、そのころ世の中も日々変化していた。だから毎日が新鮮で興味深かった。ただし、変化が激しかった分、現在との連続性を保持しきれなかった。

 あのときああすればよかったという後悔もあり、よくぞやった天晴れということもある。わすれてしまったことはもっとたくさんある。

 というわけでわたしにとっての昭和は30年代である。あくまでもこれは個人的なことである。

 もちろん、昭和といえば40年代というひともいる。30年代の記憶がないひとにとっての昭和は40年代であろう。

 わたしにとっての40年代は高校、大学、そして成り立ての社会人の時期に重なる。まあ、振り返ってもなつかしさはあまり湧いてこない。その理由のひとつは、そのころの生活がしっかりと現在に繋がっているからであろう。連続的なつながりの中で捉えることができるのでなつかしさは乏しくなる。いたしかたのないことであろう。

 また、この時期の世の中との関わりも希薄になっていた。受験というものが心を覆っていたし、なぜだか大好きだったテレビもほとんど観ていない。友達としゃべくるのに忙しかった。話の内容はともかくとして。資本家は悪、会社員になったのは悪に屈した気分だった。できれば仮の世界と思いたかった。

 社会との関わりがうすくなれば、その時代に対するなつかしさもおのずから減じてしまう。

 40年代の出来事の多くは記憶に残っている。さすがに高校生以降の出来事である。もっとも、歩道橋を推進したのが美濃部都政とは知りませんでしたが。

 といっても、知っているのは表面だけで詳細を知らないことは多々ある。特にテレビ番組や芸能界など、番組名、タレント名を知るだけのものもたくさん含まれている。なかには、関わらなかったことを後悔するものもある。


 30年代にくらべ、40年代は個々のできごとは大きくはっきりしているような気がしてくる。30年代は、東京タワー、東京オリンピックを除いては、世の中のエネルギーとか明日は今日より良くなるだろうなど、どことなく抽象的な感じがする。

 40年代のできごとはひとつひとつ切り離して論じることができそうだ。そしてそれぞれが大きい。いまの時代に大きな影を落としているものもある。懐かしむよりも悔やむことのほうが多いかもしれない。具体的に取り上げることはしませんので各自ご確認ください。