2014-01-01から1年間の記事一覧

電話

電話は苦手だ。その原因のひとつは子どものころ、家に電話がなかったから。 いや、電話がないのはわが家だけではなかった。ない家のほうが多かった。公衆電話もさほど多くはなかった。 場所によっては、引きたくとも回線が不足していて、ずっと(数年)待た…

あめ

あめといえばキャラメル。一番食べたのは森永ミルクキャラメル。一番うまいと思ったのは明治クリームキャラメル。貴重な味だったのがアーモンド・グリコ。これがキャラメルの私的御三家。グリコにはおまけ付きグリコという売れ筋もあったが、これはあくまで…

昭和の夜は暗かった。 街灯がずっと少なかった。間隔が開いていて、街灯と街灯のあいだは暗闇だった。 個々の街灯の明るさも今よりずっと暗かった。白熱灯とちいさな銀色の笠というのが普通だった。 たまに、乳白色のガラス玉にはいっていることもあった。こ…

預かる

宅急便という便利な仕組みができるまえ。荷物の配達は、日通、郵便局そしてデパートなどの自前配達に限られていた。どれも、十分な輸送車を持たなかったのだろう。あるいは、適切な配送スケジュールを組んでいなかったのだろう。 なぜかというと、配達先が留…

東京オリンピック

ちょっと愕然としたことがある。それは、 「東京オリンピック」と言われて、1964年のオリンピックを思い浮かべたこと。なんら迷いもなくすらーっと思い浮かべた。当時の少年にとって、ものすごく印象に残る体験だったので当然のことだろう。 しかーし! 違う…

冷凍みかんとゆでたまご

汽車に乗る時のおやつの定番があった。まだキオスクという名のつかないころの駅の売店で売られていた。 それは冷凍みかんとゆでたまご。どちらも赤いネットに入って売られていた。どうして蜜柑と卵なのか。良くわからないが、おそらくは、日常よりはちょっと…

知らなくても構わない?

小学校高学年のとき、担任の推薦みたいなことで、「自由自在」という参考書を使って勉強していた。副読本でもなく、宿題、課題でもない。むろん、中学受験を目指していたわけでもない。特に熱心だったのが国語。ただなんとなく、ページを開いて暗記していた…

路地のにほい

昭和の路地にはにおいがあった。 食事のにおい。カレーやさんまでなくとも、夕食の支度のにおいが漂っていた。とりわけ印象に残っているのは、いもの煮っころがし。いものにおいなのか、醤油のにおいなのかよくわからないが、なぜか記憶に残っている。ただ、…

原付

原動機付き自転車というものがあった。いまでも名前は残っている。50cc未満のオートバイ、〝原チャ〟とか〝原付〟が正にそれである。ただし名前が残るだけで、ものは昔の原動機付き自転車とは別物である。いまの原動機付き自転車は原動機でしか動かないオー…

あの頃の老人は見かけより若かった

昔、老人だと思っていたひとたちも、当時の年齢は結構若かった、ということがある。 就職した職場にはもうすぐ定年というひとたちがいた。それ相応のお年寄りだと思っていた。が、よくよく考えてみれば、当時の定年は五十五歳。いまのわたしより、十歳も若い…

ひとさらい

こどもころ、よく「ひとさらいにさらわれるよ」と脅かされた。そのころは素直におびえていたのだが、はたしてどうだったのだろうか。 本当にひとさらいなるものがいたのだろうか。誘拐ではない。誘拐というのは、拉致してその家族など身内から身代金をせしめ…

電車で新聞

近ごろ、電車で新聞を読むひとが減ったように感じられる。 かつては居眠りと新聞が大半を占めていた。文庫や新書あるいは漫画雑誌を読むひともいたが、それらは少数派であった。 新聞の中では、半分以上が日経だったのではないだろうか。面白い新聞とは思わ…

一極集中

昭和の流行は一極集中的なものが多かった。 ダッコちゃん、フラフープ、ホッピング、…… 何かが流行ると世の中がそれ一色に染まった。歌謡曲の世界もしかり、ファッションの世界もしかり。 それが高じると、全体主義、ファッショとなる。おお、こわっ。 幸か…

大黒柱

一家の大黒柱はお父さんだった。三世代家族の真ん中、お父さんが家族の中心だった。といっても家族を取り仕切っていたのではない。家族を取り仕切っていたのは、お母さんだったかもしれない。 お父さんが中心だったのは家計の話。お父さんひとりが、三世代分…

家族会議

昭和の時代に「家族会議」とかいうものがあった。 実際にそんなことやっている家族があったかどうかは知らないが、いろんなところで家族会議なる言葉を目にした。また、テレビドラマなんかにも家族会議のシーンが現れた。 要するに学級委員会みたいなことを…

缶詰

消費税値上がりを目前に控え、買いだめ可能な商品として缶詰が脚光を浴びているとかいないとか。 子どものころ、缶詰というものは贅沢品だと思っていた。この認識は正しかったのか、それとも誤解だったのかはよくわからない。 そう思ったのは、普段はあまり…

ネジ式の鍵

引き違い戸の玄関や窓についていた鍵。 バタフライ(つまみ)のついたネジ式の鍵で、引き抜くと根元で折れて垂れ下がる鍵。最近まったく見かけなくなった。一発では開け閉めできません。何回もグルグル回さなければなりません。 そもそも引き違いの玄関は極…

マッチ

あまり意識はしなかったが、見かけなくなったもののひとつにマッチがある。いまも当たり前にあると思っていたのだが、改めて探してみると〝無い〟。 日常的にはほとんどマッチが要らない環境になっている。これまで一番使うのがガスの点火であった。これは、…

歌謡曲

最近、歌謡曲という言葉を耳にしなくなった。かつて歌謡曲という名称でくくられていたジャンルの需要が減ったということなのであろうか。 歌謡曲と演歌とは若干ニュアンスが異なる。恋やら仕事やらのどろどろしたやや精神よりの世界を扱うのが演歌。歌謡曲は…

ティッシュペーパー

昔は、はなかみとかちり紙を使っていた。これは呼び方が異なるだけで、同じものであろう。要するに吸湿性のある長方形の一枚紙である。 トイレにはこれをそのままどかっと重ねて置いてある。 外出時には何枚かを重ねて、何回か折り畳んで小さくしたものをポ…

正月の遊び

正月の遊び。 室内では、まずは歌留多。いろは歌留多もあれば、高級なところでは百人一首。百人一首は歌留多よりも坊主めくりとして使われるほうが多かったかも。 双六も定番ですね。上がる時は、ぴったりした数でなければいけないのか、マスの数以上の目が…