路地のにほい

 昭和の路地にはにおいがあった。

 食事のにおい。カレーやさんまでなくとも、夕食の支度のにおいが漂っていた。とりわけ印象に残っているのは、いもの煮っころがし。いものにおいなのか、醤油のにおいなのかよくわからないが、なぜか記憶に残っている。ただ、煮っころがしのにおいから暖かい家庭というよりも、貧しい夕食を想像してしまうのはなぜだろう。

 トイレのにおい。汲み取り式だからこれはあたりまえ。豪邸のトイレでもにおっていた。学校のトイレをはじめとして、公共のトイレは強烈なにおいをはなっていた。トイレはふけつなもの、という印象が染みこんでしまった。学校で大をするのはみっともない、という自覚もそんなところから来ているのだろう。

 工場の煙突は猛烈な煤煙、黒い煙を吐き出し、風向きによってそのにおいが伝わってきた。このにおいは日本の工業の活力の源としての勢いも感じさせたが、くさいものはくさかった。健康にも良くないことは実感された。

 くるまの排気ガス。これもいまよりもくさかった。不完全燃焼が多かったのだろうか。くるまのうしろには立ちたくなかった。くるまのほうはそんなことは気にせず、がばっと排気ガスを吐き出し浴びせかけて立ち去っていった。

 ドブからはメタンガスのにおい。これも吐き気を催すようなにおいだった。いまは、ドブそのものが減ってきたのだろう。メタンのにおいも減ってきた。

 都会でも畑はあちこちにあった。なので、肥たんこ(肥だめ)もあり当然におってきた。大規模な鶏小屋もあり、鶏糞のにおいがただよっていた。

 最近は、そんな好ましからぬにおいはめっきり少なくなってきた。多分、清潔になってよいことなのだろう。だけど、なんとなく、無機質になってつまらなくなったような気もする。これは、なつかしさからの感情ではない。