2015-01-01から1年間の記事一覧

テケツ

田中小実昌の本を読んでいると、ときどき「テケツ」という言葉が出てくる。切符すなわち"ticket"のことだ。 たしかにねえ、"ticket"を「チケット」とは言わないよなあ。ためしたことはないけれど「テケツ」のほうが通じるような気がする。 カタカナ表記に際…

自転車のライト

今の自転車のライトは、ハンドルにつけられている。電源は単三または単四電池が多い。電球はLEDが主流になっている。連続点灯はもちろん、点滅させることもできる。後部取り付け用の赤色灯も普及している。 昭和の自転車ライトは取り付けるところがまず違う…

黄色い線の内側

電車が到着するときの駅の放送はこんな感じになっています。「危ないですから黄色い線の内側に・・・」 黄色い線というのは展示ブロックです。昔のホームには点字ブロックはなく、白線が引かれていました。なので放送も「電車が到着します。白線の内側にお下…

絵本の紙

昭和の絵本は厚紙に印刷されていた。 が、この厚紙は厚紙に非ず。一枚の紙ではない。やや厚めの紙を何枚か貼り合わせて作られた紙なのだ。 で、子どものころの楽しみのひとつに、その厚紙を剥がすことがあった。厚紙を剥がすと、そこに別の絵(元の絵)が現…

検印・住所

本の話。昔は検印といのがあった。小さな紙一枚、一枚に押印し、それを奥付の上に貼っていた。著者はその押印した数で印税を得ていたという。串田孫一さんなどは、その印を手彫りで作っていた。なので、孫一さんの生の押印は(わたしにとって)宝物である。…

彼・彼女

テレビが普及しはじめたころ、それまで耳にしたことのない言葉が画面から聞こえてきた。 それは、「彼」と「彼女」。「パパは何でも知っている」とか「うちのママは世界」といったアメリカのホームドラマのなかで頻繁に使われていた。仲のよい男友達、女友達…

当直

昭和の小学校や中学校には当直というものがあった。生徒の話ではなく、先生の話である。当番制で、何日かに一度、校内で宿直する。つまり、夜を学校で過ごすのだ。もちろん起きている必要はなく、寝ていて構わないのだろうけれど。坊ちゃんがバッタを蚊帳の…

路地の写真売り

妙な商売があった。 むかし子どもたちは家の前の路地で遊んでいた。そのこどもの写真を撮って歩くひとがいた。展示会をやったり本を出したりするためではない。 撮った写真を現像して後日売り歩くのだ。買うのはむろん、こどもの親。まだまだ、カメラが高級…

マント

昭和の時代には空を飛ぶヒーローがいた。スーパーマン、スーパーウーマン、マイティマウス、スーパージャイアント、……。 どういうわけか、彼らはみなマントを羽織っていた。このマントは服飾史に残るマントとはちょっと違う。簡単にいってしまえば、風呂敷の…

ゼッケン

むかし、陸上選手は胸にゼッケンをつけていた。ゼッケン5番の選手とか言っていた。野球選手やサッカー選手はゼッケンではなく背番号をつけていた。背番号3はもちろん長嶋茂雄である。 そもそもゼッケンとは何語で本来はどういう意味なのだろうか。胸につけ…

押し売り

昭和の時代、怖かったもののひとつに押し売りがある。男親が働きに出ている昼間にやってくる。玄関先に座り込んでは鞄をあけ中のものを売る。 着ているものはみすぼらしく、髪の毛はぐしゃぐしゃ、無精髭がもじゃもじゃ。売っているのは、なんじゃこりゃとい…

かんゆ

いまでいうサプリメントであろうか、かんゆというものがあった。「肝油」と書く。鱈かなにかから取ったものらしい。どんな成分でなにに効くのかは覚えていない。ただ、見た目がジェリービーンズのようで、お菓子という感覚もあった。 これが学校を通して販売…

ねずみ

昭和の時代、家の中をねずみが走り回っていた。不意に廊下にでると、高速で壁を走るねずみに出くわした。天井裏からはねずみの足音が聞こえてきた。ドブや縁の下にもねずみがいた。 金物屋ではねずみ取り器が売られていた。その罠にかかるねずみがいた。つか…

文学全集、百科事典

住宅事情が多少良くなったのか、応接間を持つのがブームになった時期がある。 そのとき、応接セットなるものが登場した。ひとり掛けの椅子が二つ、三人掛けの長いすがひとつ、そして低いテーブル。これが標準的だった。 応接セットの次が硝子扉付きの本棚。…

パーマ屋

昭和の時代にはパーマ屋あるいはパーマ店という店があった。女性の髪を整えるためのお店をそう呼んだ。 パーマというのは、先端の技術であったのだろう。そこを訪れるひとが、みなパーマをかけるわけではなかっただろうが、新技術崇拝でそう呼んでいたのだろ…

ちびっこ

昭和の時代にはちびっこなる年代が存在していた。ちびっこもその名称も大いにもてはやされていた。 ところが、最近になって、「ちびっこ」という集団や呼称を目にすることはなくなった。体格が良くなってチビではなくなったからだろうか。個性が尊重されるよ…

カルミン

昔懐かしいカルミン(明治製菓)が製造中止になるようだ。 子どものころ、カルミンは一個五円だったように思う。遠足のおやつはいくら以内と決められていた。で、あれこれ買って、最後に少しあまったときに買うのがカルミンだった。 味は控えめ。ちょっとピ…

ビフテキ

昭和の時代にはビフテキという食べ物があった。あったなどという生やさしいものではない。最大・最強のご馳走であった。完全無敵の絶対最高食であった。縮めてテキとだけ称されることもあり、それでも意味は通じていた。 最近になって、ビフテキなる食べ物は…

火星人

昭和の時代、地球上に火星人が存在していた。 蛸のような姿をした火星人が存在していた。丸いけれど蛸よりは平たい頭にたくさんの脚。衣服はまとわず裸で歩き回っていた。裸でも重力の差は問題なかったようだ。言語はもっていたようだが、人間の耳にはピーピ…

高いフェンス

小学校三年生のころ、横浜港に停泊中のアメリカ客船クリーブランド号(もしかしたら姉妹船のウィルソン号だったかも?)を見にいったことがある。そのとき、駅(何処の駅だかは覚えていない)を出ると岸壁まで見晴らすことができたような気がする。はっきり…

軍艦マーチ

最近耳にしなくなった音楽のひとつに軍艦マーチがある。勇ましく、賑やかで、調子の良い曲である。 かつては、パチンコ店の定番音楽として、町のあちこちで耳にした。運動会でもよく使われていた。高校野球の応援でも使われたいた。とにかく、この曲しかない…

獅子舞

正月になると路地にも獅子舞がやってきた。豊かな地域であれば一軒一軒の門口に立つのであろうが、わが地域ではそうはならない。路地の真ん中で舞っている。何軒かの家から心付けが出ればそれで良し、ということなのだろう。 わが地域にやってくる獅子舞は舞…