自動車レース

 昭和三十年代後半頃から、鈴鹿サーキットでの自動車レースがテレビ中継されるようになった。池澤さとしの漫画の影響を受けて、わたしもいっぱしのレースファンになっていた。

 むろんF1レースなどではなく、市販車やその特別チューンアップが出場するレースだった。お馴染みの名前の車が走るので、F1などよりも生々しい雰囲気を感じた(当時はF1なるものについてはまったく無知であったが)。

 三菱コルトをベースにした改造車がたくさん出場していたのが不思議だった。市場の占有率とはかなり違っている。

 レーサーも生沢徹は画家生沢朗の息子、三保敬太郎は音楽家、式場荘吉は実業家のご子息、福澤幸雄は諭吉の孫(だったかな)と家柄の良い、つまり金持ちばかり。当時はまだハングリーなものには縁遠い世界だった。

 今考えると出来レースだったかもしれないが、スカイライン初優勝のレースは感動的だった。日産に吸収される前のプリンスのスカイラインである。

 ここからは、うわさレベルの話です。小中学生が聞いた噂なので信憑性はかなり低いと思われますが。

 スカイラインはレース前から有力視されていた。ドライバーは生沢徹。このため、トヨタは出場を断念。ただ、トヨタとしては国産他社の車が優勝するのは好ましくない(ちょいと狭量ですな)。ということで、裏でポルシェを手配する。ドライバーは式場荘吉。

 予想通り、スカイライン、ポルシェの一騎打ちとなる。運不運があったりしてスカイラインが先にゴールに飛び込む。むろん大歓声があがる(力道山が外人レスラーに空手チョップをたたき込むと大歓声があがった時代です)。(レスリング同様?)先にストーリーが決まっていたとの噂もある。でも、まあ、これが鈴鹿の最大のレースだっただろう。

 少し時代が後になるが、ベンツが久々にル・マンに出場し優勝したときも感動を覚えた。レースに出る車はスポンサーの広告がベタベタと貼られているのが普通だ。ところが、夜明け前の闇の中からライトの光が見えはじめ、やがて浮かび上がってくる車の姿。一位、二位は広告のない銀色のスマートなベンツ。そのままワン・ツー・フィニッシュ。ものすごく綺麗だった。

 その後、F1がブームになったころにはわたしの自動車熱は冷めてしまっていた。そして、一般大衆でも自動車を持てるようになったころには、あろうことか自動車嫌いになっていた。なんとまあ……。