電話

 携帯電話が恐ろしいほど普及している。ひとり一台電話を持つ日もそう遠いことではないのかも知れない。

 わたしが子どもの頃は電話のある家のほうが珍しかった。地域性もあるが、小学校低学年の頃の名簿を見た記憶では電話のある家はほとんどなかった。電話があるのは、大きな商いをしている家(要するに金持ちで仕事にも電話が必要な家)に限られていた。

 小学校の高学年から徐々に増え始めるが、それでも半分は越えていなかったように思われる。

 最近ではまったく見かけなくなったが、住所録に(呼)と書かれた電話番号があった。これは、自宅には電話がないが、その番号へかけると(持ち主の厚意により)呼び出して貰えることを意味している。電話の普及率の問題もあるが、そのような交流も随所に見られる時代だった(呼び出し電話よりもっと親密度の高い“もらい湯”なんていうのもあった。これは、お風呂に入れてもらうこと。そうそうテレビも……。これはいずれまた)。

 電話がないのは、お金の問題もあるが、電話局(いまのNTT)側の問題もあったようだ。回線や交換機が十分ではなく、申し込んでから使えるようになるまで、場合によっては一年、二年待ちなんてこともあったようだ。

 高校生になった頃には半分は越えたであろうか。だが、我が家には依然としてなかった。名簿を見て恥ずかしさを覚えた記憶もあるので少数派になってしまったことはほぼ間違いない。

 電話がある家に住んだのは所帯を持ってからである。ちょっとうれしかった。友人、同僚などと比べ少し遅かったような気がする。

 わたしはそんな経験をしてきたのだが、ポケベルが女子高校生の間で思わぬ売れ行きを示した、と思う間もなく、一気に携帯電話へなだれ込む。まったく信じられない世界が展開してしまった。

 いまやわたしも携帯電話は持つには持っているが、落ちこぼれ寸前の使いかたしかしていない。これもトラウマの一種なのだろうか。