真田十勇士

 TV大河ドラマの「真田丸」が大詰めを迎えているようだが、昭和の子どもたちは真田幸村は知っていても真田丸は知らなかった。幸村に兄がいたことも知らなければ、その兄が徳川方についていたことも知らなかった。

 幸村が大阪冬の陣で大活躍し徳川勢を苦しめたことは知っていた。が、もっとも有名なのは真田十勇士を従えていたこと。この真田十勇士がめっぽう強かったことは知っていた。

 ちなみに真田十勇士とは、猿飛佐助、霧隠才蔵三好清海入道、三好伊佐入道、穴山小助由利鎌之助筧十蔵海野六郎根津甚八望月六郎の十人である。もっとも当時の子どもでもすらすらと名前が出てくるのは最初の三人くらいかもしれないが。猿飛佐助、霧隠才蔵三好清海入道の順に強かったのだろう。猿飛と霧隠は忍者で猿飛が甲賀流、霧隠が伊賀流の忍術使いだった。猿飛のほうが活躍したことから、忍者といえば甲賀が第一、伊賀は第二と誤解していた。

 むろん真田丸は史実だが、真田十勇士は架空の物語。架空の話ではあるが、講談、読み物、そして漫画に再三再四取り上げられた。なので親しみの度合いは高かった。

 そして与えられたものを越えて、勝手にあれこれ想像し創作していた。この空想、妄想が楽しかった。いまどきの子どもたちは真実に関する知識は昔の子ども達よりも多くのものを持っているようだが、空想とか妄想は苦手なようだ。どちらが良いかはさておいて、時代というか社会環境とともに変わっていくもんだ。ということに、突然に気がついた。