がいし
昭和の時代には〝がいし〟というものを当たり前のように見かけた。碍子と書く。
もっともよく見るのが電柱。電信柱状の絶縁器具である。直径5センチくらいの円筒形の白い陶器であっただろうか。
この碍子、意外なところでもよく見かけた。それは、花壇。花壇などの仕切としてよく使われていた。再利用、廃品の有効活用ということでそれはよいのだが、その碍子、一体どうやって手に入れたのだろうか? ちょいと気になる。公のルートがあったようには思えないのだが……。
闇ルートがあっても構わないのだが、果たして廃品の碍子に値がついてのだろうか。有料で買う人があっただろうか。はなはだしく疑問である。タダだから花壇に使ったのではなかろうか。
ということは、公の碍子捨て場があったのだろうか。これもいささか信じがたい。
さてさて、真相やいかに。
碍子というものは姿を変えたのか、電柱をよく見ればあることはあるけれど下手すれば見落としてしまうくらい。まあ、ほとんど見かけなくなってしまった。それでも日本ガイシという会社は健全である。過去の製品(がいし)だけではなく、セラミック技術を武器に大いに発展しているだろう。