荷物を預かる

昭和の時代はいまのように個別配送が充実していなかった。荷物を配達していたのは郵便局か日通、そして盆暮れのデパートくらいのものである。 そのころ、いまでは考えられないようなことが、ごく当たり前に行われていた。届け先が不在の場合、平気で荷物を近…

運動靴

昭和の時代は運動靴だった。スニーカーなんて言葉はなかった。 ちなみに運動会になると運動靴にしようか、地下足袋にしようか、それとも裸足でいこうか、と迷う子どももたくさんいた。走る前にサロメチールを塗ると速くなるという信仰もあった。それはさてお…

昭和の朝の音

わたしにとって、昭和の朝は牛乳配達の音ではじまった。 あのころは、物売りの声で朝がはじまった。お馴染みは、納豆売り、シジミ売り。豆腐売りはあさは来ただろうか、夕方だけだっただろうか? 記憶が曖昧なり。 新聞配達の走る音、そして新聞をしごく音。…

お父さんの夏の夕暮れ

三十年代の前半から中盤にかけて家庭にテレビが普及していった。 夏の夕暮れ時のお父さんの典型的な光景は、 仕事を終えて帰宅するとステテコとだぼシャツに着替えます。やはりその頃から普及し始めた電気冷蔵庫からビールを一本取り出して、戸棚を開けてコ…

検札とキセル

昭和に時代、キセルが横行していた。キセルとは不正乗車のことである。全区間の乗車券を買わずに、乗車駅、下車駅の近辺だけの乗車券を買い、中抜きをして安く済ますことである。どちらかの区間だけ定期券を持っていることが多かった。 キセル(煙草をすう道…

ラジオ・テレビ

物心ついたころは、まだまだラジオの時代だった。そのラジオも一家に一台。家族みんなが同じ番組を聴いていた。子どもも大人が聴く人気番組に付き合わされた。子ども向けの番組は夕刻に放送されていた。この時間帯、おとなは仕事であったり夕食の準備でラジ…

ダークダックス

ダークダックスのゲタさんがお亡くなりになりました。少し前にパクさんが亡くなり、そのしばらく前からマンガさんが隠遁してしまいました。ひとつの時代、これもまた昭和の時代が終わった感がします。 ダークダックスは昭和の優等生でしょう。山の歌やロシア…

鉛筆

鉛筆の二大メーカーはいまもむかしも三菱とトンボ。むかしは、この二者の鉛筆は一本十円だった。どちらも軸は緑色をしていた。三菱のほうが濃い緑だった。ほかにコーリンとか地球というメーカーもあって五円のものも出ていた。 テレビで見たアメリカの鉛筆は…

尺貫法の生死

昭和の時代は尺貫法だった。といっても入りたての小学校で、メートル法を使うよう指導を受けた。もしかしたら、そのころにメートル法が採用されたのかもしれない。 とまあ個人的には、尺貫法に馴染む前、というよりほぼ最初からメートル法で生活していた。 …

窓ガラス

昔はガラスをよく割った。ガラス自体が脆弱で割れやすかったこともあるが、割ってしまうような行為もよくやった。 その筆頭が野球であろう。昔はちょっとした空き地があれば、そこで軟球下手投げもしくはソフトボールを使って野球をやった。打ったボールが空…

こなぐすり

昔のお医者さんはよく粉末の薬を調合してくれた。〝とんぷく〟といっていた。頓服と書く。Aの薬を何グラム、Bの薬を何グラム、それを一緒にする。これを〝調剤〟というのだろう。 四角い紙の上にAとBを測って乗せ、対角線方向に折り曲げると三角になる。その…

堤防のない川

昭和の時代には堤防のない小川が流れていた。平らな土地の中をいきなり川が流れていた。むろん、あくまでも小さな川である。堤防がないということは自然にできた川のままで、護岸工事もなされていない。川底はもちろん土である。 堤防がないので水面に手を突…

おつかい

こどものころはよくお使いに行かされた。買い物である。その買い物のスタイルがいまとはちょっと違っていた。 量り売りという売りかたも多かった。たとえば、味噌はしゃもじですくってきょうぎに乗せ、重さを量って幾らということになった。ついでながら重さ…

カレーライス

昭和のカレーライス――まだライスカレーというほうが優勢だったかもしれないが――は今とほんの少しだけ違っていた。 まずは盛り付け。左側にご飯があって右側のカレーを自分でかけて食べるようなスタイルではなかった。まして、カレーとご飯が別々に出てくるよ…

ミルクホール

ミルクホールというものがあった。やや、いかがわしいところもあったようなのだが、わたしが知っているのは超健全な文字通りのミルクホール。 それはパン屋さんの二階にあった。喫茶店のようなものだが、コーヒー、紅茶ではなく、牛乳がメインだった。暖かい…

普段着

父は会社勤めをしていた。仕事を終えて帰宅するとまず着替える。大概は、着物つまり和服に着替えていた。和服といってもシャキッとしたものではない。よれよれと言っては言いすぎだが、まあ、そんな感じのしれっとした肌合いのきのもを着ていた。着物の下は…

いちごの食べかた

ご飯やみかんの食べかたにくらべれば、気にするほどのことはないかも知れないが、昭和の時代、イチゴも奇妙な食べかたをしていた。 へたをとったイチゴをフチのある深い皿にいれる。それをスプーンの背でつぶす。このための専用のスプーンも売られていた。そ…

みかんの食べかた

フォークで食べるご飯も奇妙な方法が広まっていたが、昭和の時代、みかんも変な食べかたをするひとがいた。対象となるみかんは、温州蜜柑などの冬に出回る小ぶりなみかん。夏みかんや八朔などの大きなものではありません。 その食べかたというのは、まず皮を…

フォークの背でご飯を

昭和の頃には、理解不能な習慣のようなものがあった。なぜだかわからないがそうするものだと言われていた。 そのひとつが、ご飯をフォークの背に乗せて食べるというマナー。これはまことしやかにささやかれ、それを実践するひとも少なくなかった。いや、少な…

正月のお店

新年も松の内(関東)が過ぎ、小正月ももうすぐである。 お正月は街のお店はみな休みだった。すくなくとも三が日は休み、四日の初荷を持って初仕事とするのが最速だった。 いまはどうだろう。営業時間が若干短くなる程度で正月から営業しているところが多く…

正月の街角

昭和のころの正月に街角で見かける光景と言えば躊躇なく、凧揚げ、羽根つき、コマ回し、獅子舞があげらる。ほんとかな? 凧揚げ。確かにこれはありました。竹ひごと半紙でつくった凧に新聞紙を切った尻尾をつくって揚げていました。「龍」と書かれた凧が一番…

大掃除

年も押し迫ってくると大掃除の季節である。 いま、大掃除の対象としてまっさきに挙がるのは換気扇の掃除だろう。油でべとべとになった換気扇。かなり厄介な相手である。 が、昭和の大掃除といって、一番に挙がるのは換気扇ではなかった。いや、換気扇は番外…

押し売り

昭和に時代、押し売りという商売(?)があった。戸締まりがまだまだ曖昧だったころの話である。留守が少なく、家には誰かがいたころの話である。 がらがらっと戸を開けて(ドアではなく引き戸が多かった)勝手に入りこみ、どかっと座り込む。家のひとがでて…

缶ジュース

ペットボトルが出回る前、缶入りジュースというものがあった。 缶というのは普通、缶切りでギコギコとふたを切り開けるものだった。あるいは、コンビーフ缶のようにクルクルと巻き取って開けるものだった。パッカンはまだ無い。 ところが、缶ジュースはまっ…

座席の下にごみ

昭和の時代、列車の座席の下はゴミ箱だった。食べ終わった駅弁やらお茶の容器、みかんの皮、読み終えた新聞や雑誌もみんな座席の下に押し込んでいた。煙草の吸い殻まで座席の下に押し込むひとがいた。 公共心がないわけではない。むしろこうするのが暗黙のマ…

安全カミソリ

かつて、ひげを剃るのは安全カミソリ。いまはどうだろう、電動式が大半を占めているのではなかろうか。安全カミソリも数は減っているが根強い人気がある。が、これらはシックやジレットといった特殊な刃先をもった安全カミソリである。これらの刃はそれでし…

交通整理のお巡りさん

交通量の烈しい交差点の真ん中には、朝礼台のような台があって、そこにお巡りさんが乗って交通整理をしていた。笛をくわえ、警棒をもって、進め/停止を指示していた。 なかには、ダンスパフォーマンスよろしく、切れの良いきびきびした動作を見せるお巡りさ…

トイレットペーパー

昭和の時代にはロール状のいわゆるトイレットペーパーはなかった。いや、あったかもしれないが普及はしていなかった。家庭にまでは入りこんでいなかった。 家庭で使っていたのは、落とし紙とかちり紙とかはな紙とか呼ばれていたものである。ロール紙ではなく…

痰壺(たんつぼ)

ちかごろ人々のマナーが確実に良くなっていることは何度か書いた。路上でのマナーもしかり。かつては道を歩いていて、しょっちゅう犬の糞やらガムを踏んづけて往生したものだ。ところが最近では、どちらもほとんどなくなっている。マナーの向上の一例であろ…

歯磨き粉

いまの歯磨き剤はほとんどチューブに入った練り歯磨きであろう。昭和の時代には歯磨き粉も幅をきかせていた。粉末の歯磨き剤である。缶入りで、水に濡らした歯ブラシをつっこんで穂先につける。缶の中はそのうちに水がたまってグシュグシュになってしまった…