昭和の朝の音

 わたしにとって、昭和の朝は牛乳配達の音ではじまった。

 あのころは、物売りの声で朝がはじまった。お馴染みは、納豆売り、シジミ売り。豆腐売りはあさは来ただろうか、夕方だけだっただろうか? 記憶が曖昧なり。

 新聞配達の走る音、そして新聞をしごく音。ちなみに新聞はバイクや自転車ではなく、走って配達していた。新聞受けのない家には(ないところのほうが多かっただろう)、玄関の戸の隙間から差し込む。戸は開き戸ではなく、引き戸がほとんど。スキマに差し込むために、新聞をきっちりと筋をつけて折る。その折る音が聞こえてくる。

 それよりも賑やかだったのは牛乳配達。牛乳配達は自転車が多かった。原チャはまた登場前、徒歩では重たい。なので自転車。当時の牛乳はもちろんビン入り。何本ものビンを容れたズックの袋をハンドルにかけて自転車をこぐ。袋の中でビンがぶつかって音をたてる。それがもっとも印象的だった昭和の朝の音。

 そうそう、当時は牛乳は配達してくれた。各家庭には空きビンを戻し、配達される牛乳を受けるための牛乳受けが付けられていた。むろん、木製。牛乳受けには各社の名前が記され、もちろんその会社から提供された。森永、明治、雪印(いまはメグミルク?)のほかに、グリコのやっていた。名糖もあった。東京には高梨はなかっただろう。

 ビンが重たく、冷蔵庫は普及途上、戸建てや二階建てアパートが主な住居だったから、牛乳が配達されていたのだろう。販売数が確実に読めるので生ものを扱うにはそのほうが効率的でもあっただろう。

 冷蔵庫が普及し、紙パック入りが一般化し、高層住宅が増加したいま、個別配達の利点は減ってしまったのだろう。いや、もしかしたら高齢化によって復活するかもしれないぞ。