屑屋さんとバタ屋さん

 昭和の時代、廃品のリサイクルに一役かっていた職業に屑屋さんがある。後のちり紙交換などの廃品回収業の先駆けでもある。武士が登場する落語の主人公になっているところをみると江戸時代からあった職業なのだろう。

 背中に大きな丸い竹駕籠を背負い、この中に回収した廃品を入れて運ぶ。トラックなど使わずに自分の脚で歩く。リサイクルのために廃品を回収するのもエコなら、徒歩で運ぶのもエコである。

 手に竿秤を持ち、これで廃品の重さを測って代金を支払う。廃品を受け取る屑屋さんが代金を支払い、廃品を出した人が代金を受け取る。逆ではありません。

 廃品としては、新聞、雑誌、ボロきれ、空き缶、空き瓶など。落語の世界では骨董品なども扱っていたようだが、わたしには経験がない。

 さて、屑屋さんと同じような職業でバタ屋さんというのがあった。バタ屋という名前の由来はなんであろうか? 屑屋とはどう違うのだろうか。ネットで検索すればわかることかも知れないが、そんなことはしないで、自力で考えてみる。

 もしかしたら、職業の違いではなく、東阪による違いなのかもしれない。屑屋さんが東でバタ屋さんが西。「屑イー、お払い」という売り声(?)は東京でしか聞かなかったような気もしている。

 という一方で、仕事のやりかたが異なり、似てはいるが別の職業であるという思いも捨てきれない。

 屑屋さんの仕事は前述の通りだが、代金を払わずに廃品を集めるのをバタ屋さんと呼んでいたような気もする。つまり、各家庭を回って廃品を買い取るのではなく、道に落ちているものを(無償で)拾い集めるのがバタ屋さんと呼んで区別していたような気もする。

 このため、バタ屋さんは竿秤の代わりに、廃品を挟んで背中の駕籠へ放り込むためのトング(というのだろうか、ピンセットの親玉みたいなやつ)を手にしていたような気もする。道ばたに設置されたゴミ箱(09/06/04条)を漁っているのを見たような気もする。そんなこともあって、バタ屋さんという職業はさげすみの目で見られていたような気もする。廃品のリサイクルを遂行していたことには違いはないのだが。

 とまあ「気がする」を乱発してしまったが記憶だけで書いていこうと趣旨のため、ご容赦ください。