クルマの注連飾り
お正月、昭和のクルマの前にはリースのように丸くした注連縄(しめなわ)が飾られていた。
まだまだクルマが少なく大事にされていたかもしれないが、ほとんどのクルマにつけられていた。バスや都電にも飾られていた。いやいや、バスや都電は正月に限らず、祝日には日の丸をつけて走っていた。
いまはバスの日の丸も、クルマの注連飾りもほとんど見かけなくなった。家々の松飾りは残っているが、祝日の日の丸も消えてしまった。なんだかなあ……
座りかた
テレビが普及しはじめたころ違和感のある光景をよく目にした。テレビ以外ではほとんど見かけない光景である。
光景というと大げさだが、それは女性の座りかたである。
テレビではイスに腰掛けた女性を正面から写すことが多かった。ミニスカートはまだ世に出ていなかったが、それでも座るとスカートから膝がでる。
で、ほとんどの女性は、膝から下を床に対して30度くらい傾けて座っていた。右へ傾けるひと、左へ傾けるひととまちまちだが、どちらかへ傾けていた。かなり異様なことに思えた。
これは決して座りやすい姿勢ではなく、まさにテレビ向けの姿勢だったのだろう。なので町中では、ほとんど目にすることはなかった。
そんな座りかた、いまではほとんど見かけることがなくなった。その代わり、どんな座りかたをしているかというと……、それが思い出せない。まったく印象に残っていない。昔の座りかただそれだけ異様だったということなのだろう。
あやしげな看板。
昭和の町を歩くと、当時でもちょっと違和感を感じる看板を見かけた。「ちちもみ」「ほねつぎ」「ぢ」などなど。「おとこの教室」などというのもあった。
「ちちもみ」は「乳揉み」。エロいことをしようというのではない。子どもを産んだ母親の母乳がでるように乳房をマッサージすることである。
「ほねつぎ」は「骨継ぎ」。骨折を治すお仕事。整骨医ですかね。あるいは整体士かも。
「ぢ」は「痔」ですね。肛門科のお医者さんですね。
どれも真っ当なお仕事ですが、表現がなんともストレート、露骨で生生しい。正規の医療系ではないのかも。
そうそう最後の「おとこの教室」。これはわたしの読み間違い。もっとも、読み間違いをしていたひとは少なくはなさそう。意識的に読み間違いを狙った感さえある。一字一字読み直すと正しくは「おことの教室」、琴の先生でした。漢字で書いたほうが誤解がないんだけど……、なぜみんな平仮名で? やっぱり、意識的な誤読狙いかなあ。
それがマナー
駅のホームで吸った煙草の吸い殻は、ホームしたの線路に捨てる。なので、線路は吸い殻だらけ。
駅弁の容器など列車の中で出たゴミは座席の下に捨てる。なので、座席の下はゴミだらけ。
というのが昭和の当たり前だが、これはマナーが悪かったわけではない。逆にそうすることがマナーだったのだ。吸い殻をホームに捨てない。ゴミを通路や網棚、座席の上に残さない。それがマナーだった。マナーを守ったからこそ、線路や座席の下がゴミだらけになったのだ。
マナーを守るのは良いことだから仕方のないことなのかもしれないが、マナーそのものがおかしいと異を唱える人はいなかったのだろうか。ネット無き時代、唱えたくとも唱える場所がなかったのかな。
おまけ。列車のトイレはタンク式ではなく垂れ流し。なので、線路は最近うようよで非衛生的。これもだれも指摘しなかったのだろうか。
回路図
昭和の家電、テレビや洗濯機には必ず回路図がついていました。電気屋さんに修理を頼むと、その回路図を見ながらテスターを使って調べていました。外れているところがあれば半田付けし、悪い部品を特定してそれを交換していました。とうことで、電気屋さんはみな回路図を読むことができました。
現在はどうでしょう。回路図がついている製品はまずありません。ほとんどが集積回路になっていて、回路図があっても簡単に手を出せるものではありません。修理は基板単位の交換になります。直すのではなく取り替えです。場合によっては、部品交換と称する全取っ替えもあります。一製品一部品という位置づけのようです。
どっちいいんでしょうかね。まあ、後戻りはできないでしょうが。
傷薬
昭和の傷薬といえば、なんといっても赤チンである。マーキュロクローム液。赤いから赤チンである。チンとはなんぞや。
赤チンよりも協力な傷薬と思われていたのがヨーチン。茶色ないしは紫っぽい色をした薬である。ヨードチンキ、略してヨーチンである。
傷に塗っても赤チンはあまりいたくなかったが、ヨーチンは痛かった。だから、傷がひどいとき以外は赤チンの出番だった。そうそう、ヨーチンに対しての赤チン、なのだろう。
さらに消毒に特化したのがオキシドール。オキシフルとも言われたが、こちらは商品名ではなかっただろうか。シュワシュワと泡がでていかにも効きそうな感じがする。これも少し滲みる。
ヨーチンに対して赤チンと呼ばれていたマーキュロクロムだが、それは多分商品名マキロンの語源であろう。ヨーチンも赤チンも好ましくない成分が入っているといわれるようになって、代わって出てきたのがマキロンである。マーキュロクロムが語源にもかかわらず、赤くはなく透明な薬である。痛みもあまり感じない。
世の中はまだまだマキロンの時代がつづいているようだ。が、わたしはもっぱらうがい薬のイソジンを消毒薬として使っている。こちらはヨーチンの系統でしょうね。因みに消毒薬としてのイソジンはNASAのお墨付きで、月の石を持ち帰る際の消毒に使われたとのことである。
オート三輪
昭和を代表する乗り物といえばオート三輪だろう。
オート三輪といえば大ブレークしたダイハツのミゼットがあり、懐古的な場面では定番のように登場する、が、わたしの思うオート三輪はそれより前のものである。
ミゼットより大きかった。自転車やオートバイのようなバーハンドルで、バタバタバタ……という円滑性に欠ける大きな音をたてて走っていた。ある意味いい加減な規格だったのではなかろうか。そのいい加減さが昭和的でもある。
メーカーはなんといってもくろがね。ほかに、マツダとか三菱があったように思うが、なんといってもくろがねである。売上台数とかの話ではなく懐かしさを基準としての話です。このくろがねというメーカー、いまも存続しているのだろうか。同名のオフィス什器の会社があるが、オート三輪の後継ではないらしい。
マツダは東洋工業、そして現在のマツダへつながっているのだろう。三菱は当時はどうだったか知らないが、おそらくは三菱自工へつながるのだろう。トヨタ、日産、プリンスなどのオート三輪は記憶にないがどうだったのだろうか。ホンダやスズキ、ヤマハなどの二輪メーカーも参入していたのだろうか。
安全性、特に転倒性などの問題もあるだろうけれどもう一度見たいものだ。