アスパラガス

 いま、アスパラガスといえば、緑色の新鮮な野菜として、ごく普通に生もしくは茹でて食べている。

 が、昭和のアスパラガスは白かった。生では売られておらず缶詰になっていた。

 白いのは日に当てないため。現在のウドやモヤシのように日に当てずに育てていた。わざわざ手間をかけてそうしていた。

 缶詰はパッカンと開くタイプではなく、缶切りでギコギコ切って開ける。明けるのは上ではなく底。アスパラガスは根本が底になるように缶に入っている。だから根本側、すなわち底を開ければ取り出しやすい。上を開けてしまうと、アスパラガスの頂部をつかむことになり、すぐにちぎれてしまう。

 缶詰のアスパラガスにはやや独特のにおいがあった。これを嫌がって嫌いだというひともたくさんいた。ということは、このにおいが気に入った熱烈な愛好家のたくさんいた。

 かくも個性ある食べものであった。なにげなくサラダに入っているようなものではなかった。だからといって、どおってことないが……。

身近な死

 昭和の日常には「死」がしばしば登場した。

 ときどき身内の訃報を耳にした。自分の親戚もそうだが、友達の親戚の不幸もよく耳にした。

 夏休みが終わると朝礼で在校生の死が告げられた。大概は知らない名前だったが同じ学校の生徒である。台風がくれば川に流されいのちを落とす子どもがいた。学校の帰りに野ツボ(肥たんこ、肥ダメ)にはまって死ぬ子もいた。それ以上に病気で死ぬこどもがいた。交通事故死はもっと多かった。

 学校の帰り道ではしばしば葬式に出くわした。

 かくのごとく、昭和の日常の中にはしばしば「死」が登場した。

 「死」の影はだんだんと薄くなってきた。なぜだろう?

 長寿になったことが理由と考えられるかもしれないが、それは違うだろう。短命社会でも長寿社会でも死者の数は変わらないだろうから。

 事故が減ったのは確かだろう。親戚づきあいが希薄化したり、家族葬がひろまって、葬式に列席する数が減ったことも有るだろう。葬儀社のホールで葬式を行うことが多くなったため個人宅での葬式が減ったことあるだろう。

 死の影が遠ざかって良かったのか悪かったのか、良くわからないが、まあ、そういう事象は起きているだろう。

くるまを押す

 最近、くるまを押している光景を目にすることはほとんどなくなりました。

 昔はまちのあちこちでみかけました。また、くるまを押しひとが同情していない場合には、近くのひとがお手伝いするといった助け合いも見られました。

 ところでなぜくるまを押すのか。動かなくなってしまったくるまを移動するためではありません。エンジンを始動するためです。普段はキーを回すことによってセルモータが起動しエンジンがかかるのですが、セルモーターが回らなかったり、回ってもエンジンがかからないことがよくありました。とりわけ、セルモータがカラカラと音を立てて回っているのにエンジンがかからない光景をよく目にしました。

 くるまを押せばタイヤが回る。タイヤが回ればエンジンもまわる。エンジンが回っている時にセルモータを回して起動するのです。タイヤを回せば良いのですから坂道を下りながらエンジンをかけるのはうまい方法でした。

 もっと前には、ボンネットにクランクシャフトという棒を通し、それを回すことによってエンジンを始動していたようです。このクランクシャフトをまわすのは助手の役目のひとつ。その助手が運転席のとなりに座っていたので、その席を助手席と呼ぶようになったとか。

 エンジンはセルモータの性能が向上した現在、ほとんど見かけることにない光景ですね。

ハサミムシ

 昔はよく見かけたハサミムシだが、いまはあまり見ることがない。

 昔は、ちょっと薄暗くてジメジメしたところの石を持ち上げると決まって何匹かのハサミムシが逃げ惑っていた。

 そんなハサミムシだが、最近はほとんど目にしない。

 ハサミムシが自然現象したわけではなさそうだ。

 そうではなくて、ハサミムシが暮らすような大きな石が少なくなったのが原因だろう。いや、石がなくなっただけでなく、石の下の〝土〟の地面がなくなってしまった。人間の都合で変わってしまった環境が原因なのだろう。

 でも、もしかしたらハサミムシ、我々の知らない新しい環境のもとで繁栄しているかもしれない。そうであって欲しい。

駅のホームの水飲み場と痰壺

 昭和の駅のホームには水飲み場があった。いまはほとんど見かけない。なぜ?

 昭和のひとは今のひとに比べてのどが乾きやすかったのだろうか? のどが乾くような物をいまより多く食べていたのだろうか。

 そうじゃないだろうね。おそらくは自動販売機の普及、それよりも蓋を閉められるペットボトルの普及のおかげだろうね。自分で飲み物を持ち歩くことができるようになったので、公共施設として用意する必要が無くなったのだろう。おっとこれって、携帯電話の普及と固執電話の衰退の関係と同じだな。

 もうひとつ、昭和の駅にはそこかしこに痰壺なるものが置かれていた。いまはほとんど見かけない。なぜ?

 昭和のひとは、今のひとに比べて痰がよく出たのだろうか?

 これはよくわからない。喫煙率が高かったり、大気汚染がよりひどかったのかもしれない。でも、痰壺の衰退に影響するほどの変化ではなかっただろう。

 ほかに考えられる理由は? う〜ん。そうだ! もしかしたらマナーの向上が最大の原因かもしれない。だけどマナーが向上したからといって痰が減るわけではない。

 というわけで、こちらは原因不明なり。

車中の読書

 電車の中、今も昔も居眠りしているひとは多いが、本や新聞を読むひとの数は大いに変わってきた。

 昭和の時代は車内で本や新聞を読んでいるひとがかなりいた。週刊誌、文庫・新書、単行本、漫画週刊誌など様々な種類の本が読まれていた。あるいは日刊紙やスポーツ新聞などもよく読まれていた。超満員電車のなかでも、小さく折り畳んだ新聞を器用にめくる名人芸にもよく出くわした。

 転じていまはどうだろうか。居眠り組以外の多くがスマホ、形態を手にしている。ゲームをやっている人、ラインやらツイッターを見たり書いたりしている人、単に音楽を聴いている人。やっていることは様々だが皆がみな、スマホや携帯の画面を見つめている。本や新聞を手にするひとはあまりいない。場外馬券場の近くではスポーツ新聞に見いっているひともいるが、時と場合による例外だろう。

 良し悪しは別としてそういう時代へと変わっていっているようだ。

朝顔

 昭和の時代、朝顔を備える個人宅が少なくなかった。朝顔、すなわち男性小用の便器である。

 豪華な邸宅ではない、質素な家でも朝顔のあるところは珍しくもなかった。もっとも、廊下の突き当たりに剥き出しでついていることも多かったが。金隠しのあるほうは個室しつらえだが、朝顔を剥き出しである。かく申すわが生家にも存在していた。

 あの貧しい時代にかなりの優遇措置つまり無駄な設備のようにも見えるが、どうしてあったのだろうか。また、時代が立つにつれ、どうして消えていったのだろうか?

 かつての存在理由としは、立ったまま和式で小用を足すのが難しかったためではなかろうか。朝顔は贅沢ではなく、衛生上の必要性から存在したのではなかろうか。

 ということであれば、洋式が普及すれば、朝顔の存在価値が減じてしまうことになる。