身近な死

 昭和の日常には「死」がしばしば登場した。

 ときどき身内の訃報を耳にした。自分の親戚もそうだが、友達の親戚の不幸もよく耳にした。

 夏休みが終わると朝礼で在校生の死が告げられた。大概は知らない名前だったが同じ学校の生徒である。台風がくれば川に流されいのちを落とす子どもがいた。学校の帰りに野ツボ(肥たんこ、肥ダメ)にはまって死ぬ子もいた。それ以上に病気で死ぬこどもがいた。交通事故死はもっと多かった。

 学校の帰り道ではしばしば葬式に出くわした。

 かくのごとく、昭和の日常の中にはしばしば「死」が登場した。

 「死」の影はだんだんと薄くなってきた。なぜだろう?

 長寿になったことが理由と考えられるかもしれないが、それは違うだろう。短命社会でも長寿社会でも死者の数は変わらないだろうから。

 事故が減ったのは確かだろう。親戚づきあいが希薄化したり、家族葬がひろまって、葬式に列席する数が減ったことも有るだろう。葬儀社のホールで葬式を行うことが多くなったため個人宅での葬式が減ったことあるだろう。

 死の影が遠ざかって良かったのか悪かったのか、良くわからないが、まあ、そういう事象は起きているだろう。