なつかしくない昭和——紙芝居

 昭和といえばこれ、といった感じで語られる事柄のうち、まったくといってよいほど経験していないことがある。定型、定番、ステレオタイプの私的欠損である。

 欠けている対象としては、〝遊び〟が多い。ベーゴマ、凧揚げ、メンコ、竹馬などについては以前に書いたことがある。これらは皆無といってよい。

 買い食いを禁じられ、日々の小遣いも貰っていなかったわたしは駄菓子もあまりなじみではない。ただし、皆無ではないので、舌の記憶は多少は残っている。

 そして、紙芝居。これもほとんど見たことがない。

 わが路地へ来ていたのかどうか。それすらも思い出せない。来ていたかどうかはわからないが、見ていないのは確かだ。来ていても見なかっただろう。駄菓子を買うお小遣いを持たないわたしは、「ただ見はだめよ」という脅し文句をそのまま信じて、とても見てはいられなかっただろう。

 いや、一度だけ見たことがある。近所の年上の子どもに水飴かなにかを買って貰ったのだ。

 ストーリーは思い出せないが、ゴールデンバットなどの有名作品ではなかっただろう。シロホンをヒロポンと言い間違えるギャグだけは覚えている。こんなギャグを理解できたのが不思議だが。はたしてどれくらいの子どもが笑ったことやら。

 とまあ、唯一の経験がこれである。ともかく、遊びに関しては、昭和、昭和と偉そうに言うことはできませぬ。とほほ。