町の音

 匂いの次は音の思い出。町の音もだいぶ様子が変わってきた。今回は消えてしまった町の音の記憶。

 まずは物売りの声。

 金魚売りやラオ屋の売り声はよく話題になるけれど、わたしにははっきりとした記憶がない。焼き芋や竿だけ売りは肉声ではなくなったがいまも健在。豆腐を売るラッパの音も続いている。おでんの屋台(屋台で飲食提供するのではなく鍋を持って買いに行く)は、チリンチリンとベルを鳴らしていたが、これは各地共通だったのだろうか?

 朝のシジミ売りや納豆売りの声。これはまったく消えてしまった。いや消えたのは売り声でなく売り歩く商売そのもの。なお、これらの声を聞いたことは覚えているのだが、具体的にどんな声だったかを思い出すこどができない。ちょっともどかしい。

 物売りに続いては配達の音。

 新聞配達は今はバイクが主流になり、その小刻みな停止・発進音が町の音となっている。時刻と小刻み度の度合いで郵便配達の音と区別をつける。昭和の新聞配達の音は違う。まず、配達は徒歩または自転車が基本。足音やブレーキが軋む音から新聞配達を連想することはあまりなかった。新聞配達の音といえば「ゆうかーん」というかけ声とキュッと新聞をしごく音。

 昭和の時代、郵便ポストのない家が大半だった。では郵便や新聞はどうするかというと、扉のスキマから玄関に差し入れるのだ。もっとも開き戸(ドア)であればスキマがないのでそうはいかなかいが、さいわい当時は引き戸が多かった。引き戸であれば柱と扉のあいだにスキマがある。このスキマから新聞を差しこむ。入れやすいよう折り目をしごく。このときキュッと音がする。思いのほか大きな音だ。「ゆうかーん」と声をかけるのは玄関をいじくる際の挨拶・礼儀だったのだろう。

 今は牛乳は買いに行くのが普通になっているが、当時は毎日配達してもらう家庭が多かった。郵便受けはなくとも、牛乳店の無料サービスの木製牛乳受けを設置した家が多かった。毎日決まった時間にこの牛乳受けに牛乳を配達する。牛乳はもちろん瓶に入っている。配達するのは自転車。荷台に箱を据え付けそこに瓶を並べる。入りきらない瓶は、ズックのバッグに容れハンドルにぶら下げる。自転車が揺れると、瓶がぶつかり合って音がする。これが町の音となる。

 配達のあとはひとの声。

 店先では店員さんとお客さんの話がはずむ。銭湯では客と客が声をかける。路地ではすれ違いのあいさつ。家々の前では近所のひとが話し込む。老人は若者を冷やかし、こどもを叱る。これらもまた町の音。

 問題意識が変わったり、生活様式が変わったりで、いつの間にかこれらの音が消えてしまった。