ゴミ

 昭和三十年代の生活を振り返って、どうしても思い出せないことのひとつにゴミ処理の方法がある。あのころ、いったいどうやって家庭のゴミを処理していたのか思い出すことができない。

 道路に木製、後にコンクリート製の据置型のゴミ箱が置かれていたことは覚えている。縦横1メートルくらい、奥行きが五十センチくらいだったろうか。前下がりの屋根がふたになっていて蝶番で開閉するようになっている。木製のものはゴールタールで黒く塗られていた。

 このゴミ箱に捨てていたのだろう。ただ、それを回収する光景に記憶がない。ゴミ回収者を見た記憶がないのだ。もし、あったとしてゴミ箱の中身をどうやって外へ出していたのだろうか? ひっくり返してゴミを回収する丸形プラスチック製のゴミ箱が登場するにはまだ間がある。

 恐らく当時はゴミそのものが少なかったのだと思われる。ペットボトルや缶飲料はまだまだ普及していない。プラスチックのトレイやラップなどもなかった。牛乳はガラス製の牛乳瓶に入っており、牛乳屋さんが回収していた。豆腐は鍋、醤油は瓶を持って買いに行った。味噌を包むのは経木。

 くず屋さんが各家庭をまわり資源ゴミを回収していた。主に新聞、空き瓶、空き缶を買い取っていた。空き瓶は酒屋などでも改修していたように思われる。

 今で言うところの不燃ゴミはぐんと少なく、また、資源ゴミはきちんと回収されていた。

 わからないのは生ゴミだ。庭に穴を掘って埋めていたのだろうか。なんかそんな気もしていた。土地の所有権は別として、まだまだ穴を掘ることのできる土の地面はたくさんあったのだから。

 くず屋さんに引き取って貰えない紙ゴミは燃やしていたのだろうか。いや、違うだろうな。穴を掘る土地はあっても焚き火のできるスペースはどこにでも在るというものではなかった。これもまた埋めていたのかも知れない。

 屎尿を別にすれば、お役所に頼り切っていた訳ではないのかも知れない。案外、今よりも効率的に処理していたのかも知れない。江戸時代云々という前に昭和三十年を振り返ってみるのも良いかもしれない。