ろう石

 最近見かけなくなったもののひとつにろう石がある。一センチ角くらいで長さ十センチくらいの石の棒である。もちろん、もともとこんな形をしているわけでない。大きな自然石の塊から使いやすいサイズに切り出したものである。

 石でありながら比較的柔らかく、堅いものの上に線を描くことができる。

 見かけなくなったといったが、それは身の回りでの話で、産業界ではいまだ現役で使われているようだ。鉄工所で鉄板に、道路工事現場で道路に印をつけたり、打ち合わせのメモを描いたりするのに使われているようだ。

 見かけなくなった身の回りというのは、子どもの遊び道具としてのろう石である。子どものころはいつもポケットに一本持ち歩いていた。コンクリートアスファルトに落書きしたり、道に石蹴りやビー玉遊びの線を描くのに使っていた。

 いまやろう石うんぬんではなく、道路に絵を描くなんてことは危なくてできない。それで、すたれた? いや、かならずしもそうではなさそうだ。昔だって大通りは危険だった。では路地はどうかというと、それが大概の路地は舗装されていない泥の道。なのでろう石で絵を描くことはできない。

 じゃあどこでろう石を使っていたのか。数少ない舗装された路地は勿論絶好のキャンバスであった。学校などのコンクリート通路もかっこうのキャンバスだった。よその家の玄関先のコンクリートに落書きすることも少なくなかった。この場合は見つかると怒られた。そして、消すことを余儀なくされた。

 ろう石のあとははかないもので長くとどめることはできない。が、いっぽうで消そうとするとなかなか旨く消すことができない。靴で擦ってもダメ、濡れ雑巾でもダメ。消す努力をしながら許しが出るのをひたすら待つばかり。

 それでもろう石を使った落書きをやめることはなかった。ただで大きな絵を描けることは魅力だった。滅多にないことだが、うまく描けたときはひとに見て貰うこともできる。公の場所で描いているのだから。ストリート・アーティストのはしりだったのかもしれない。

 いまろう石が廃れてしまった理由。それは描く場所がなくなったからではない。舗装が進み、逆に、描く場所は桁違いに増えている。廃れた理由は描いても愉しいとは思わなくなったから。つまり、遊びが変わってしまったからだろう。道路でなにか妄想しながら、大きな絵を描くこと自体を愉しいと感じる感覚が無くなってしまったのだろう。他人や機械と競ったり繋がったり。なかなか一人の世界を楽しめないようだ。