葡萄酒、ワイン、赤玉

 昔は「ワイン」とは言わずに「葡萄酒」と言っていた。

 なんとなく、ワインよりも葡萄酒のほうが親しみがあり、それでいて豊かで重厚で上等な感じがする。なぜだか、ワインというと安っぽい印象さえうかんでします。

 当然ながら子どもは葡萄酒を飲むことができなかった。まあ、飲んでもうまくは感じなかっただろうが。それがかえって、葡萄酒が豊かで、重厚で、上等なおとなの飲み物であるという印象を植え付けていたのだろう。

 そして、「赤玉ポートワイン」なる飲み物があった。販売は洋酒の寿屋、いまのサントリーである。森見登美彦有頂天家族』でも、この赤玉ポートワインが重量なアイテムとして登場する。

 この赤玉ポートワイン、なぜだか飲んだ記憶がある。それも一度や二度ではなく何度も。もっとも一回の量は多くはなかったであろうけれど。

 アルコール度数がどれくらいであったかは知らないが、あまり高くはなかっただろう。加えて甘かった記憶がある。ならば子どもでも飲みやすく、飲んでうまいと感じることもあろうかと。ちょっとおとなの世界を味わっているという背伸び感覚も無論あった。

 ここで話を戻すと、赤玉は「葡萄酒」ではなく「ワイン」である。子どもでも飲める(法的なことは別として)お酒である。

 結構なことではあるが、この赤玉ポートワインによって、「ワイン」が手の届くものとなり、故に豊かさや重厚さを生じることなく、まあ上等という印象も減じてしまったのではないだろうか。