昔ながらの喫茶店

 タイトルに〝昔ながら〟と書いてしまってから、なにが〝昔〟なのかわからなくなってしまった。

 高校生までは喫茶店に出入りすることはなかった。喫茶店に入るようになったのは大学生のころからである。したがって、このブログで取り上げる〝昭和〟よりは少し後のことになる。時間は少しずれるが、現在とは大分様相を異にしているのでまあよかろう。

 大きな喫茶店と小さな喫茶店があった。

 大きいほうは、従業員がなんにんもいて、しょっちゅう水を追加したり、灰皿を変えに回ってきた。体の良い追い出し作戦でもあったようだが。

 小さいほうは、亭主ひとりだけ、あるいは夫婦ふたりで営んでいるところが多かった。

 単に飲食だけの喫茶店とプラスワンのある喫茶店とがあった。プラスワンはジャズであったりクラシックであったり。後者は音楽が主でコーヒーは従だった。もっとも、音楽にはさほど感心はなくことも、こう言ったところでは、時間を気にする必要がなく、また周囲の話し声に邪魔されることもなかったので、読書や思考のために通うことも多々あった。

 おっと、話がずれてしまった。〝昔ながら〟であった。

 〝昔ながら〟の喫茶店は、ドトールスターバックスなどのチェーン店、あるいは、マクドナルドやケンタッキーなどのファーストフード店とは趣を異にしている。また、最近、〝カフェ〟と自称・他称している店とも多分違うだろう。もっとも、カフェと喫茶店のちがいも良くわからないが、わざわざ呼称を変えているからには、意識的に異なるものがあるのだろう。

 カフェと自称・他称するようなところは、避けているので、実態は良くわからない。

 チェーン店に関しては、時間を気にすることもなく、読書や思考に更ける妨げもなく、連れと談話しても周囲を気にする必要もない。そういった意味では、完全に目的にかなっているのだが、どこか、〝昔ながら〟の喫茶店とはひと味違う。

 小さな店とは、店のひととの距離感が違うことはわかるのだが、それ以外にもなにか違っている。

 大きな店とは、ちがいはなさそうに思われるのだが、でも、なにか違う。

 どことなくちがうのだが、具体的に何が違うのかわからない。もう少し、考えてみよう。