オート三輪

 昭和の象徴的なクルマといえばダイハツのミゼットが定番になっているようだ。確かに、ミゼットは一世を風靡したクルマである。が、わたしの感覚は少し違っている。ミゼットより一世代前のクルマにより多くの愛着を覚えている。

 それはオート三輪。もちろん、ミゼットもオート三輪であるが、ミゼットが登場する前の車種に懐かしさを覚える。

 オート三輪にはふたつのタイプがあった。違いはハンドルにある。最初のころはオートバイのようなバーハンドルが主流だった。ブレーキもオートバイ・自転車タイプの握ってかけるタイプである。名前からして、自動二輪(オートバイ)に因んで、自動三輪→オート三輪となったように思われる。二輪が三輪になったのであって、四輪が三輪になったのではよいように思われる。エンジンの音もオートバイのようにバタバタ言っていた。

 バタバタというエンジン音、バーハンドル、どちらも無骨そのものである。この無骨さが昭和である。しばらくしてから丸ハンドルのオート三輪も現れた。ミゼットも丸ハンドルだ。

 ミゼット以前のオート三輪は結構大きかったような気がする。もっとも、子どものころに大きさに関する感覚は当てにはならないが。メーカーも群雄割拠。今の自動車会社以上に存在していたようだ。一番見かけたのがマツダだろうか。そして、一番印象に残っているのが“くろがね”。このくろがね、名前を見かけなって久しいが、オート三輪と共に消えてしまったのだろうか。オフィス什器メーカーのくろがねは後身ではなく、別会社であるとのこと。

 それがかなり小型化し、その分相当安くなったであろうミゼットが発売されて一気に普及したのだろう。ミゼットの曲線を取り入れたデザインはスッキリと柔らかい。従前のオート三輪の無骨さを払拭してしまった。

 無骨さに対する愛着のほかに、ミゼット以前のオート三輪により親しみを感じるのは、それを東京で見ていたから。対して、ミゼットを意識したのは大阪へ引っ越してから。わたしの中では東京とミゼットは重ならない。わたしにとっての昭和の想い出の主体は東京にいたころなのである。

 余談だが、大村昆と佐々十郎によるミゼットのTVコマーシャルは鮮烈だった。東阪の文化の違いを強烈に感じた。逆にこれがミゼット離れの遠因になってしまったのかもしれない。