住み込み

 昭和の集団就職についてちょっと勘違いしていた。集団就職の勤務先のほとんどは人手不足の(大)工場とばかり思っていた。なんとか電気、なんとか製作所といった大手企業の工場で働くひとがほとんどかと思っていた。そしてその多くは会社の提供する寮で暮らしていたと思い込んでいた。

 が、必ずしもそればかりではない。個人レベルの町工場や商店で働くひともかなりいたようだ。かれらの多くはその家庭の一室を間借りして暮らしていた。つまり住み込みである。映画『三丁目の夕日』の六ちゃんなんてその典型ではないか。

 よくよく思い出して見れば、町の商店には大概、若い店員さんが居た。現在ならばアルバイトやパートということになるのだろうが、当時は地方から出てきた住み込みの店員さんだった。

 一番に思い出すのは近所の電気屋さんの店員さん。初めのうちはオヤジさんに連れられてきていたが、そのうちひとりで来るようになった。時間が経つに連れ油を売る(適当に時間を潰してから帰る)ようになってきた。でもまあ、これも顧客密着の一形態。雇用主もうるさいことは言わなかったのだろう。

 そのお兄ちゃんの油を売る相手が小学生のわたくし。中古車をただ同然で手に入れて、(ボコボコの)ボディを全部外し、代わりに寄せ集めの材木でボディを作っているとのこと。いやあ、興味津々。夢中になって聞いていた。おとなになったらそんな愉しいことができるのだと。

 売り手と買い手の(商売抜きの)文字通り対話のある好ましい関係だったのですね。