道草

 唐突だがいまの子どもたちって学校の帰りに道草をしているだろうか。おそらくしていないだろう。

 世の中が物騒なころ(いまもそうかも)、集団下校というのが導入された。これでは道草どころではない。

 あるいは、習い事やらなんやらでさっさと帰らなければならないかもしれない。

 これはわたしに限った得意例かもしれないが、中学校、高校の帰りにまっすぐ帰ったことはほとんどない。

 中学校は校区のハズレで、バス通学をしていた。だが、バスに乗るのは往きだけ。帰りは歩いて帰った。しかもまっすぐではない。三角形の二辺、というより四角形、五角形の三辺、四辺をまわって帰った。

 帰ると言うよりも、どこかへ遊びに行ってそれから家へ帰るといったほうがよいかもしれない。が、この認識は正しくない。けっしてどこかへ遊びに行くのではない。あくまでも、帰り道なのだ。ただ、もっと話したくて、別れてしまうのが惜しくて、帰路をずるずると伸ばしているのだ。この違い、わかってもらえるだろうか?

 高校は家からすぐの所にあった。だが、まっすぐには帰らない。やはり〝J〟ターンである。電車通学の友達に付き合って、家のすぐ近くを通り過ぎて、駅まで付き合って、それから引き返してくる。

 なにをそんなに話すことがあったのか、とんと思い出せない。毎日、道草を食って帰ったことだけはしかと覚えている。

 道草とか寄り道とか死語になってしまうのだろうか? せちがらいなあ。