屋根に上る

昭和の時代はよく屋根に上った。屋根の補修をしたり、誤って屋根まで飛ばしてしまったボールなどを取るためにのぼるのは理由のあることだが、そうではなく、用もないのに屋根に上ることもよくあった。 上ってどうするか。どうもしない。腰掛けて夕陽をながめ…

町の電気屋

昭和三十年ころまでの家庭には、テレビも洗濯機も冷蔵庫もなかった。町の電気屋さんで売っているのは、電球やテーブルタップ、自転車のダイナモ、それに電池くらいだったのではないでしょうか。大もうけすることもなかったでしょうが、それなりの商いはあっ…

消防自動車の鐘

昭和の消防自動車のサイレンは手回し、鐘も手で鳴らしていた。特に、鐘。疾走する自動車のステップに立って、カンカンと鐘をならす。勇壮な姿である。 ところでなぜ鐘を鳴らすのだろうか?? 緊急性を伝えるだけならサイレンで十分であろう。 救急車やパトカ…

冷蔵庫の鍵

昭和の冷蔵庫には鍵がついていた。 が、鍵を掛ける目的がよくわからない。 冷蔵庫によっぽど貴重なもをが容れることが想定されていたのだろうか。といってもわざわざ他人の家に押し入って冷蔵庫の中身を失敬しようなどとは思わないだろう。泥棒なら冷蔵庫の…

下駄

昭和の時代の履き物は、サラリーマンは別として、下駄と靴、半々だった。 下駄を履く時は靴下ではなく素足か足袋を履いていた。ズボンに足袋というのも、決して特殊ではなく、あたりまの装いだった。 下駄に足袋が日常の世界だった。 靴も足袋もサイズは文(…

百科事典、文学全集

昭和の時代、応接間というのが流行った。床は板敷きで(フローリングという言葉はなかった)、ソファやサイドボードなど置いていた。サイドボードには(ゴルフの)トロフィーやら洋酒セットなどが飾られていた。どこでも同じようだった。 硝子戸つきの本棚も…

関数電卓

昭和の時代、計算には算盤を使っていたが、四十年代後半になると電卓が出回った。最初はラップトップコンピュータ並みのサイズで一桁あたり一万円という値段だったが、これが一気に小型化され安くなった。 不思議なのは、小型電卓が出回り始めてさほど時間が…

クルマの注連飾り

お正月、昭和のクルマの前にはリースのように丸くした注連縄(しめなわ)が飾られていた。 まだまだクルマが少なく大事にされていたかもしれないが、ほとんどのクルマにつけられていた。バスや都電にも飾られていた。いやいや、バスや都電は正月に限らず、祝…

座りかた

テレビが普及しはじめたころ違和感のある光景をよく目にした。テレビ以外ではほとんど見かけない光景である。 光景というと大げさだが、それは女性の座りかたである。 テレビではイスに腰掛けた女性を正面から写すことが多かった。ミニスカートはまだ世に出…

あやしげな看板。

昭和の町を歩くと、当時でもちょっと違和感を感じる看板を見かけた。「ちちもみ」「ほねつぎ」「ぢ」などなど。「おとこの教室」などというのもあった。 「ちちもみ」は「乳揉み」。エロいことをしようというのではない。子どもを産んだ母親の母乳がでるよう…

それがマナー

駅のホームで吸った煙草の吸い殻は、ホームしたの線路に捨てる。なので、線路は吸い殻だらけ。 駅弁の容器など列車の中で出たゴミは座席の下に捨てる。なので、座席の下はゴミだらけ。 というのが昭和の当たり前だが、これはマナーが悪かったわけではない。…

回路図

昭和の家電、テレビや洗濯機には必ず回路図がついていました。電気屋さんに修理を頼むと、その回路図を見ながらテスターを使って調べていました。外れているところがあれば半田付けし、悪い部品を特定してそれを交換していました。とうことで、電気屋さんは…

傷薬

昭和の傷薬といえば、なんといっても赤チンである。マーキュロクローム液。赤いから赤チンである。チンとはなんぞや。 赤チンよりも協力な傷薬と思われていたのがヨーチン。茶色ないしは紫っぽい色をした薬である。ヨードチンキ、略してヨーチンである。 傷…

オート三輪

昭和を代表する乗り物といえばオート三輪だろう。 オート三輪といえば大ブレークしたダイハツのミゼットがあり、懐古的な場面では定番のように登場する、が、わたしの思うオート三輪はそれより前のものである。 ミゼットより大きかった。自転車やオートバイ…

アスパラガス

いま、アスパラガスといえば、緑色の新鮮な野菜として、ごく普通に生もしくは茹でて食べている。 が、昭和のアスパラガスは白かった。生では売られておらず缶詰になっていた。 白いのは日に当てないため。現在のウドやモヤシのように日に当てずに育てていた…

身近な死

昭和の日常には「死」がしばしば登場した。 ときどき身内の訃報を耳にした。自分の親戚もそうだが、友達の親戚の不幸もよく耳にした。 夏休みが終わると朝礼で在校生の死が告げられた。大概は知らない名前だったが同じ学校の生徒である。台風がくれば川に流…

くるまを押す

最近、くるまを押している光景を目にすることはほとんどなくなりました。 昔はまちのあちこちでみかけました。また、くるまを押しひとが同情していない場合には、近くのひとがお手伝いするといった助け合いも見られました。 ところでなぜくるまを押すのか。…

ハサミムシ

昔はよく見かけたハサミムシだが、いまはあまり見ることがない。 昔は、ちょっと薄暗くてジメジメしたところの石を持ち上げると決まって何匹かのハサミムシが逃げ惑っていた。 そんなハサミムシだが、最近はほとんど目にしない。 ハサミムシが自然現象したわ…

駅のホームの水飲み場と痰壺

昭和の駅のホームには水飲み場があった。いまはほとんど見かけない。なぜ? 昭和のひとは今のひとに比べてのどが乾きやすかったのだろうか? のどが乾くような物をいまより多く食べていたのだろうか。 そうじゃないだろうね。おそらくは自動販売機の普及、そ…

車中の読書

電車の中、今も昔も居眠りしているひとは多いが、本や新聞を読むひとの数は大いに変わってきた。 昭和の時代は車内で本や新聞を読んでいるひとがかなりいた。週刊誌、文庫・新書、単行本、漫画週刊誌など様々な種類の本が読まれていた。あるいは日刊紙やスポ…

朝顔

昭和の時代、朝顔を備える個人宅が少なくなかった。朝顔、すなわち男性小用の便器である。 豪華な邸宅ではない、質素な家でも朝顔のあるところは珍しくもなかった。もっとも、廊下の突き当たりに剥き出しでついていることも多かったが。金隠しのあるほうは個…

長押(なげし)

昭和の家の和室には長押(なげし)というものがあった。 本来は柱の継ぎ目などを隠す飾り板であったとか違うとか。 本来の役割はさておいて、この長押は当たり前のように使われていた。 ハンガーを引っかけるのに好都合だった。蚊帳の釣り具を掛けるのもここ…

洋間

お金持ちの住居を除いて、昭和に家には洋間はありませんでした。 畳敷きばかりでした。ぼちぼち椅子とテーブルを使い始める家庭もありましたが、その場合は、畳の上に絨毯を敷いて、その上に置いていました。絨毯の代わりに厚手のビニールやゴザを敷く場合も…

アブラムシ

昭和の時代、キャーキャー言って賑わっていたのに、あっという間にいなくなってしまったものに「アブラムシ」があります。 アブラムシといっても、アリに守られて植物の密を吸い、テントウムシに狙われる虫、アリマキではありません。 もっと大きくて平べっ…

パン屋さん

昭和の町には、ところどころにパン屋さんがあった。などというと、首を傾げるひとも多いことでしょう。首を傾げるのは昭和のことではなく、いまのことです。 パン屋さんと言えば、今も少なくはありません。むしろ昭和のころよりもかなり増えているでしょう。…

ミニスカート

今回はややお下劣な話題です。他愛のないお話ですが。 ミニスカートがはやり始めたのは、私の言う昭和よりはちょっとあとのこと、四十年代の後半でしょう。 ミニスカートそのものはさておいて、その頃はありがたい光景にもしばしばお目にかかることができま…

ズボンの裾

昭和の時代、ズボンの裾はほとんどがダブルだったように思います。 学生服は折り返してスナップで止めていました。そこによく砂がたまりました。ちなみに、当時は学生服、ないしは詰め襟と呼んでいました。学ランとは言いませんでしたよ。 背広の裾もほとん…

家族会議

民主主義が広まった昭和の時代、家族会議というものも広まった。と、いうことになっている。 テレビドラマや小説などで家族会議のシーンが現れる。親子、兄弟といった関係を離れて全員が対等な身分として発言し多数決で解決する会議である。 だけど、本当に…

チャンネル争い

昭和の時代、チャンネル争いというものがあった。テレビの話である。 テレビは一家に一台。そしてテレビが最大の娯楽。なので家族揃って一台のテレビを見る。最初のうちは家族共通の定番の番組というものがあった。世の中、ほとんどのひとが同じ番組を観てい…

正月

正月の光景も当然ながら変わってきた。 テレビ。 大晦日は、レコード大賞を見て、あわててチャンネルを切り替えて紅白、そのまま行く年来る年がはじまり、十二時に服部時計店屋上でダークダックスの蛍の光。年が明ければ、井上順とか吉村真里といっためでた…